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茨城県つくば市上野陣場遺跡で4C山将墨書土器(長さん)

以前つくば学園都市から少し東に外れた、
つくば市上野陣場遺跡で、10世紀成立の
王将墨書土器を紹介した事が在った。同じ
遺跡で、成立年代が6世紀早いが、筑波山
を奉じたとみられる、古墳時代初期4世紀
成立の山将墨書土器が、前と同じ発掘報告
書に出ているのを見つけたので、今回は、
そちらの方を追加で紹介する。
繰り返すと、pdfファイルは以下の通り。
18943_4_上野陣場遺跡.pdf
 古墳時代の遺物は、発掘報告書第1本文
pdfの前の方に説明が有って、第4写真
図版pdfに、こちらは前と同じく遺物の
写真が在る。発掘報告書の名称は、繰り返
すと以下の通りである。
茨城県教育財団文化財調査報告第182集
上野陣場遺跡、2002年、
都市基盤整備公団茨城地域支社・
財団法人茨城県教育財団。
 遺跡の場所と、出土した年代は王将疑墨
書遺物と同じであり、例言や冒頭の方に在
る抄録に載っている。
 場所は、茨城県つくば市大字上野字陣場
851番地。出土したのは、西暦2000
年前後。
 今度の遺物の成立年代は、第152号
竪穴住居跡で出土したが、発掘報告書第1
本文pdfの、第235ページ付近に
よると、遺物の形状から4世紀中頃の、
古墳時代初期と見られるとの事である。
 遺物の写真は、前期の第4写真pdfの
写真図版第100の上から3段目の右端に
在り、遺物番号竪穴住居跡(Si)152
号の通し番号:第1228番との旨、
ナンバリングされている。小型茶碗のよう
な形の土器に、私には見える。

上野陣場山将.gif

 上図のように、山の横棒が薄くてはっき
りしないが、山将と書いて在ると言われれ
ば、そのようにも見える、煤のような模様
が在ると私見する。筑波山が目の前である
から、山を奉じていると見ても、大きな矛
盾は無いかもしれない。将の字を古墳時代
初期に知っていたと考えないと矛盾するか
ら、その時点でもある程度の数居る住人が
日本人だと見ると、学園都市付近の日本人
にはその時代普通に漢字が書けたのかもし
れない。しかし日本人の書だとすれば、成
立が相当に早くなるのも、確かかもしれな
いと私は思うので。ひょっとすると、鉱脈
を求めてやってきた渡来人の食事用の、食
器だった可能性も否定できないのかもしれ
ない。以上外国人用/日本人用の確率半々
だと私は疑う。(2022/06/09)

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