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島根県江津市森原下ノ原遺跡で泰山鬼等墨書土器(長さん)

今回は、島根県の森原下ノ原遺跡で4~5世紀
頃成立の泰山鬼墨書土器が出土し、中国道教・
墨子思想が古墳時代に伝来していた事を示して
いるのではないかという例を紹介する。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
115657_1_森原下ノ原遺跡1~3区.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
森原下ノ原遺跡1~3区、2022年、
島根県教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場所は、
島根県江津市松川町八神。遺物の出土は、以下
何れについても2019年~2020年、或い
はその前後で比較的新しい。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の122ペー
ジ付近によると、道教関連文字土器が古墳時代
の4~6世紀の間と読取れ、別に奉馬墨書土器
を紹介するが、同じく132ページ付近の記載
から4~5世紀であるとの旨が読取れる。成立
年代は、それぞれの遺物の形状から判断したよ
うである。
 遺物の写真は道教関連文字土器は発掘報告書
の写真図版第40の最上段、左から2番目に在
り、遺物番号(スケッチ図)第115の9番と
の旨、ナンバリングされている。

森原下ノ原泰山鬼.gif

 上図のように、遺物の中央やや右に、縦に漢
字で「山鬼」と読めるような煤模様が有り、そ
の左の黒い塊は、奉のようでもあるが、崩れて
いてはっきりせず、更に左下に、少し濃い模様
で「泰」と書いて在るようにも見える。

「奉・泰山(の)鬼」のようにも見えるが、
やや曖昧

である。なお、泰の上に、すこし薄い模様が在
るが、左が切れている為か、残念ながらはっき
りしない。意図が上記の通りであるとすれば、

道教の墨子の「明鬼」等の思想が、5世紀前後
に島根県に伝来していた

と取れる。ただし、帰化人が存在すれば、書籍
を持参していただろうから、漢字で祭祀用土器
に、このようには書けたであろう。
 なお、遺跡で馬が飼われていたらしく、別途、
奉馬と読める墨書遺物が出土している。写真図
版の番号で、第68図の下のカラム”(2)
4層出土土師器”の右上であり、遺物番号で、
スケッチ図第125の第5番との旨ナンバリン
グされている、こちらは土師器の破片のとされ
るものである。

森原下ノ原奔馬.gif

 上図のように、右下隅に奉。その斜め左上に、
漢字で馬のようにも見える、黒い模様が在る。
 古墳時代には、道教に関して知識の在る恐ら
く渡来人により、道教に関連する祭祀が行われ
ていたが付近で馬も飼われていたとも取れる。
 島根県江津市付近にも、かなりの数の大陸系
の住人が、石見銀山から距離が在る程度は有る
ものの、付近に鉱脈が在るのか。古墳時代には
まとまって暮らしていたのかもしれないと、私
は疑う。道教の祭祀だとかなり明確に匂わせる
遺物の出土は、在るとすれば、文化伝来を解く
上で、かなり貴重な物品の可能性があるのでは
ないか私は思う。(2022/06/16)

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