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福岡県上毛町桑野遺跡で弥生中期奔王墨書土器(長さん)

今回は、九州北部福岡県東部の、成立が際
立って早い奉王墨書遺物の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
57547_2_三ツ溝遺跡・長田遺跡・大池添遺跡・ウツケ畑遺跡・竹ノ下遺跡・.pdf
 発掘報告書の名称は以下のとおりである。
豊前バイパス関係埋蔵文化財調査報告第6集上巻
三ツ溝遺跡・長田遺跡・大池添遺跡・竹ノ下遺跡、
豊前バイパス関係埋蔵文化財調査報告第6集下巻
桑野遺跡・上の熊遺跡・小松原遺跡、
1997年、福岡県教育委員会。
 なお、pdf1が上巻、pdf2が下巻
である。
 遺跡は上記のように全部で7箇所あるが、
遺物はこのうち、桑野遺跡で出土したよう
である。
 遺跡の場所は、発掘報告書冒頭によると、
福岡県築上郡新吉富村と築上郡大平村
(当時)。上巻の遺跡群と下巻の遺跡群と
で南北に2つの村に跨っていたようであり、
桑野遺跡は南側の(旧)大平村に所在する
ようである。詳しい位置は第2下巻pdf
末尾の抄録によると上毛町(大平村)大字
下唐原1296-3。
 同じく巻末抄録によると、遺物が出土し
たのは、西暦1991年前後のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第2
pdfの第225ページ付近の記載による
と、遺跡自体が弥生時代中期と見られてい
るようである。遅くても中国王朝の前漢時
代の頃のようである。
 遺物の写真は、発掘報告書第2pdf、
桑野遺跡編の写真図版第34の最上段右上
に在り、遺物番号D211-61番との旨
ナンバリングされている。小型土器の台部
分の破片のように見える。

桑野図版34奔王.gif

 上図のように、中段中央から右に向かっ
て横に、漢字で第2字目の王の字が潰れて
いるものの、「奉王」と書かれているよう
にも見える、黒い煤模様が在る。
 大分県中津市に近い福岡県東部地点で、
弥生中期には有力者に貢物を奉じる識字層
が存在したという証拠のように見える。
九州北部では渡来人の到着が早く弥生時代
には漢字が存在しただろうというのが、本
ブログの従来よりの主張であるが、この例
も、九州北部の漢字の成立が相当に早く、
渡来人そのものが存在した事を示唆する遺
物と、解釈出来るように私見される。恐ら
くだが、日本には漢字が伝来したというよ
りは、漢字を日常使っている当時の文明人
的な人間集団自体が、漢王朝時代に、九州
北部に多数移住して来た事実があるとしか、
説明困難であるという事を、示しているの
であろう。(2022/06/20)

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