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青森県青森市米山遺跡で縄文期泰山墨書土器(長さん)

今回は青森市の遺跡から、縄文時代後期成立
とされる土器に、漢字で奉山と書かれている
ように見える、出土土器破片の紹介である。

漢王朝時代の渡来人による鉱山資源の捜索が、
本州全土に及んでいた

ように解釈されるように私見する。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
122091_2_米山2遺跡Ⅸ.pdf
発掘報告書名は、以下の通りである。
米山(2)遺跡Ⅸ、西暦2022年3月、
青森県教育委員会。
 遺跡の場所は、発掘報告書第1本文pdf:
122091_1_米山2遺跡Ⅸ.pdf
の、冒頭の例言によると、青森県青森市大字
宮田字米山。
 遺物が出土したのは、同じく例言から西暦
2018年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は発掘報告書の第25ペー
ジ付近によると、第19号流路跡で出土した
が、青森県の縄文時代後期のものであると、
取れる記載が在る。
 遺物の写真は発掘報告書第2写真pdfの
写真図版第29:”19号流路跡出土土器
(6)”の第2段目左端に在って、遺物番号、
スケッチ図第40の第1番との旨、ナンバリ
ングされている。甕型土器が、ばらばらに砕
けたものであるように、私には見える。

米山2_40_1泰山.gif

上図のように、写真の中央上の縁下の部分か
ら真ん中に向かって、ぼやけているが漢字で
”奉”、画面やや右の下の端近くに”山”に
見える煤模様がある。

日本の鉱物資源を、漢王朝時代の渡来人は、
本州全域に亘って捜索した

と取れるような史料であると私見する。なお、
縄文時代後期だと紀元前10世紀前後になり、
漢字の成立として早すぎるが、流路跡に落下
していたものであって誤差が在り、縄文時代
晩期成立であって、渡来人の筆によるもので
あると考えれば説明が付くように、私には思
える。
 漢王朝には、恐らく軍事上の理由で、大量
の鉱物資源が絶対に必要で、アジアの各地か
ら、寄せ集めなければならない事情が有った
という事を、示しているのではないかと、私
は疑う。(2022/06/25)

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