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岩手県平泉町瀬原遺跡で近世奔王砥石(長さん)

今回は、岩手県西磐井郡平泉町の遺跡で、漢字で
奔王と書いたように見える砥石が発掘され、12
世紀の遺跡であると判明したが、出土場所の成立
が近世であり、漢数字で三十等と書いただけの
可能性の強い、出土遺物の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
12367_1_瀬原Ⅰ遺跡第5次・瀬原Ⅱ遺跡第9次発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書第507集
瀬原Ⅰ遺跡第5次・瀬原Ⅱ遺跡第9次発掘報告書、
2008年、国土交通省東北地方整備局岩手河川国道事務所・
(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター。
 遺物が発掘された場所は瀬原Ⅰ遺跡の方であり、
発掘報告書末尾の抄録によると、場所は岩手県
西磐井郡平泉町平泉字森下66-2。遺物が出土
したのは、西暦2006年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第33ページ
によるとB区の第16番土坑で出土したが、近世
のものと見られるとの事である。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第51:”
出土遺物(4)”の下から2段目の右から2番目
にある丸い石の塊のように見える物品で、遺物番
号(石製品の)第8番との旨、ナンバリングされ
ている。

瀬原遺跡奔王.gif

 上図のように、左上に王か三か、漢字のように
も見える黒い模様が在り、その右側やや下に、奉
のようにも廿のようにも見える、やはり黒い模様
が在る。発掘報告書のスケッチ図にも、模様が一
部載っているが、報告書を見る限り、砥石表面の
汚れ模様のように見ているように読取れる。
 発掘で12世紀後半成立と見られる遺物も出土
しているので、兵奔王墨書との関連も疑われるが、
出土した深さから、近世に下るもので、発掘報告
書のニュアンス通り、砥石の汚れかもしれない。
残念である。
 中尊寺から北東に2km前後離れており、過去
将棋関連遺物が出土した地点と、隣接していると
いうわけでも無さそうだ。江戸時代に、平泉で、
中将棋等が指されていないという保障は無いもの
の、将棋と関連する可能性は、この遺物について
は少ないかもしれない。冒頭に述べたように、
将棋には関連性が薄く、墨書は砥石の数を書いた
「三十」等の文字である可能性が疑われる。
(2022/06/14)

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