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福岡県博多市博多遺跡で15C角行権衡(長さん)

今回は福岡県博多遺跡で15世紀成立と見られる
秤のバランス錘のような形の石塊に、漢字で角行
と書かれているようにも見える物品の紹介である。

第2字目が不明解であり、行とは考えられず、
衡等別の文字ではないか

と考えられる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
91300_1_博多171.pdf
 発掘報告書名は、以下の通りである。
福岡市埋蔵文化財調査報告書第1414集
博多171(博多遺跡第216次調査報告)、
西暦2021年、福岡市教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると、遺跡の場所は、
福岡県福岡市博多区上川端町。遺物が出土したの
は同じく抄録によると、西暦2017年前後の事
のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第48ページ
の記載によると15世紀と考えられるように読み
取れる。金属器を生産している集落と考えられて
いるようである。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第20図の
上段右に在り、遺物番号第41図の、通し番号
171番との旨の記載が在る。錘のような形の、
石製の秤の部品のように、私には見える。

博多角行.gif
 
上図のように中央に、名前を書くためのようにも
見える平坦部分があり、一けん角行と書いてある
ように見えるので驚かされる。平たいなら原始の
将棋駒に見えなくもないが。そこでよく見ると、
第2字目のツクリが消えていて、行の可能性は少
ない。はっきり判らないが、

第2字目は秤を意味する衡だとしても矛盾は無い。

発掘報告書には、ずばり秤の権(衡)と記載され、
秤の分銅のように私には見える。この遺物自体が、
文字通り分銅の銅ではなくて石製である理由は謎
であるものの、分銅そのものの生産集落なので、
このような物品が、元々有るのかもしれない。
 事実発掘報告書に、分銅としては軽い部類と私
には取れる旨の記載がある。角は角行の角ではな
くて、貨幣の形が長方形である事をもしかすると
指していて、

一分金・一分銀等の補助貨幣の量を、目方で図る
秤用だと明記する目的で、角衡と記載されている

と考えると、矛盾は少ないと見る。残念ながら、

15世紀なので中将棋が成立しているが、この、
福岡市博多区の遺物が、将棋と関連する可能性は
少ない

と今のところ、本ブログでは考える。
 博多は昔から商業都市であり、室町時代には既
に、貨幣経済が相当に進展していた様子が、伺わ
れる遺物であると私は見ている。(2021/06/18)

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