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秋田県湯沢市館堀城遺跡で14世紀泰山墨書金属蓋(長さん)

今回は経文を入れる経筒の蓋の内面に、「
奉山」等の煤のような模様が在る、鎌倉後期~
南北朝時代の、土器では無くて、金属遺物の
比較的珍しい例の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
11452_1_館堀城跡.pdf
 発掘報告書の表題は、以下の通りである。
秋田県文化財調査報告書第3320集
館堀城跡、2001年3月、秋田県教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場所
は、秋田県湯沢市(雄勝郡雄勝町:当時)
寺沢字館堀10番地。
 遺物が出土したのは、西暦1999年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第123
ページ付近によると、12世紀末~15世紀
代の鎌倉時代から室町時代であると読み取れ、
末尾の抄録によると、13世紀~14世紀、
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての平城
跡からの出土遺物のようである。
 遺物の写真は発掘報告書の第24(写真)
図版の最上段に在り、右側の経筒の蓋の内側
とみられる面に、黒い煤のような漢字模様が
見えると、本ブログでは見る。

館堀城泰山.gif

 上図のように、第1字目が時計回りに回転
しているし、第2字目の下端がはっきりしな
いが、奉山とも読めるような、黒い模様が有
る。神仏習合時代であったため、

山を奉じる巻物入れに、たまたま仏教関係の
経文を入れた

ようにも私見する。或いは中国渡来文書を、
領主の小野寺氏等は所持していて、奉山では
なくて、中国文書ないし、山を描いた室町時
代の掛け軸入れであって、泰山と書いてある
のかも知れない。
 巻物入れの蓋の底であるし、泰山は中国の
道教の聖地を示す固有名詞であるから、江戸
時代の大局将棋の、山将の成りの泰山から来
ている可能性は、恐らく少ないであろう。
(2022/06/08)

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