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岩手県奥州市中半入遺跡で9C後奔車と馬墨書(長さん)

今回は、奥州藤原氏の勢力下であった岩手県
の奥州市(旧:水沢市)中半入遺跡(なかはん
にゅう)遺跡で、西暦900年前後とされる、
杯型の出土土器に、「奉車と奉馬」と5文字
書かれているように見える、奇妙な模様の在る
遺物の紹介である。なおこの遺跡からは、
「百八人兵」と、普通唱導集大将棋の本ブログ
版を連想させる、奇妙な墨書遺物が出土したと
以前本ブログで紹介した場所である。紹介した
発掘報告書は、2004年発行であったが、
今回紹介する遺物の載った報告書は、その翌年
2005年に発行されたものであり、両者は余
り出土時期が、離れてはいないようである。
 さて遺物の写真はweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
12602_1_中半入遺跡第4次発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書第465集
中半入遺跡第4次発掘調査報告書、
岩手県水沢地方振興局農政部農村整備室・
財団法人岩手県文化振興事業団、2005年。
 なお、「百八人兵」墨書土器が出土した発掘
調査は、第2次調査の分となっている。
 遺跡の場所は、末尾の抄録によると、岩手県
奥州市(旧:水沢市)佐倉河字十日市63番。
同じく抄録によると、遺物が出土したのは、
西暦2003年前後の事のようである。なお、
半入と十日市が1km前後西東で離れており、
第2次調査地点と第4次調査地点とは、その分
距離があるようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の341ペー
ジ付近によると、遺物は第04B竪穴住居跡で
出土したが、遺構の切り合いと、出土遺物から、
住居跡04B成立は9世紀の後半、西暦900
年ないし、それより少し前のようである。
 遺物の写真は、発掘報告書の第92写真図版:
”土師器・須恵器9(SI04B②)”の右下
に在り、遺物番号第89番とナンバリンされ、
写真が上下に、側面と裏面とみられる2コマで
載っている。模様が見えるのは、そのうち裏面
の方である。

中半入奔車と奔馬.gif 

上図のように、左上から下に向かって筋によう
な黒い模様に沿って、「奉奉車」と書いてある
ように見え、車の横に、ひらがなの「と」のよ
うな模様が見える。「と」模様は文字に見える
土器の煤模様としては、珍しいものである。
 そして、左上の反時計回りに回転した「奉」
の下、左の端に、よく見ると「馬」と読めるよ
うな、薄い模様が在り、結局右から、

「奉車と奉馬」と書いて在る

ように見えてくる。これが

香車と桂馬なら、はっきりと平安小将棋の西暦
900年以前の成立が疑われる

ところである。「奉車」が特に珍しくて、何を
指しているのか謎であり、そのため少なくとも、

将棋と関連する匂いが残る。

特に、この遺跡では少し離れてはいるが、兵隊
が108人ないし120人、蝦夷に襲われたと
きに、反撃に出たことを表す墨書土器が出土し
ているという点を、本ブログでは以前紹介して
いる。そのため、この遺物の成立年代が

本当に西暦900年程度で間違いないのか、も
しかして西暦1150年ころの、奥州藤原氏支
配の時代のものなのではないか

と、遺物の詳しい成立年代を問題にしてみる必
要性は、若干だが出てきたのではないか。以上
のように、私見されるようになって来たと、考
えているという訳である。(2022/06/10)

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