茨城県阿見町西郷遺跡で中世也駒墨書土器(長さん)
今回は、将棋駒名ではないが将棋ルールの
成駒の意味とも取れる、漢字で「也駒」と
書いてあるようにも見える、墨書土器の紹
介である。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
18452_1_西郷遺跡・南丘遺跡・長峰遺跡・数光遺跡・宮塚遺跡・右籾館跡・.pdf
遺物が出土したのは、このうち西郷遺跡で
ある。
遺跡の場所は冒頭例言によると、
茨城県稲敷郡阿見町阿見字香取前2929
番地。遺物が出土したのは、西暦1989
年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、遺構外で出土したが、
発掘報告書の第142ページ付近によると、
中世であると、漠然と推定しているように
読み取れる。
遺物の写真は、発掘報告書の第24番写
真図版の最下段右下隅に在り、遺物番号第
380番とナンバリングされている。土器
の底を撮影したように見える写真が載って
いる。
上図のように中央やや上に、明らかに墨書
が在り、発掘報告書には寿の旧字体の「壽」
であるとの旨の釈文が載っている。
しかしながら、漢字はかなり崩して書か
れている字のようであり、
也句や、也駒とも読めなくも無い
と私見する。出世という意味でのお祝い事
に使われる器だったのではないかとみられ、
寿と書かれているのか也駒なのかは、これ
だけではカテゴリーが類似で、判定困難
なのではないかと私は個人的に疑っている。
なお興福寺西暦1058年物将棋駒も成る。
この遺物の字が将棋から来ていても、問題
は無いと認識する。(2002/06/06)
成駒の意味とも取れる、漢字で「也駒」と
書いてあるようにも見える、墨書土器の紹
介である。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
18452_1_西郷遺跡・南丘遺跡・長峰遺跡・数光遺跡・宮塚遺跡・右籾館跡・.pdf
遺物が出土したのは、このうち西郷遺跡で
ある。
遺跡の場所は冒頭例言によると、
茨城県稲敷郡阿見町阿見字香取前2929
番地。遺物が出土したのは、西暦1989
年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、遺構外で出土したが、
発掘報告書の第142ページ付近によると、
中世であると、漠然と推定しているように
読み取れる。
遺物の写真は、発掘報告書の第24番写
真図版の最下段右下隅に在り、遺物番号第
380番とナンバリングされている。土器
の底を撮影したように見える写真が載って
いる。
上図のように中央やや上に、明らかに墨書
が在り、発掘報告書には寿の旧字体の「壽」
であるとの旨の釈文が載っている。
しかしながら、漢字はかなり崩して書か
れている字のようであり、
也句や、也駒とも読めなくも無い
と私見する。出世という意味でのお祝い事
に使われる器だったのではないかとみられ、
寿と書かれているのか也駒なのかは、これ
だけではカテゴリーが類似で、判定困難
なのではないかと私は個人的に疑っている。
なお興福寺西暦1058年物将棋駒も成る。
この遺物の字が将棋から来ていても、問題
は無いと認識する。(2002/06/06)