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千葉県横芝光町中島遺跡で平安期泰山墨書土器(長さん)

今回は千葉県横芝光町の芝崎遺跡群の中の遺跡
の一つである、中島遺跡でも、以前紹介した
芝崎遺跡同様、奉山墨書土器が、2枚程度出土
しているとの旨の紹介である。
 紹介する遺物は前と同じく奈良文化財研究所
の発掘報告書データベース、全国遺跡報告総覧
に登録された同じ発掘報告書に載っている。
pdfファイル名は以下の通り。
22324_5_芝崎遺跡群.pdf
発掘報告書名は、繰り返すと以下の通り。
千葉県(当時)匝瑳郡光町(現山武郡横芝光町)
芝崎遺跡群、西暦2006年、千葉県道路公社・
財団法人東総文化財センター。
 なお芝崎遺跡群の中に、芝崎遺跡・中島遺跡
等の遺跡が在る。東西1km、南北500メー
トル前後の田畑地域に、点々と4箇所程度の遺
跡が在るとの事である。芝崎遺跡の東側、数百
メートル程度に中島遺跡があり、例えば有力者
の館が在るとすれば、同一敷地内とみられる。
 発掘報告書、第1本文pdfの冒頭例言によ
ると、遺跡の場所は千葉県山武郡横芝光町芝崎
(当時:匝瑳郡光町芝崎)1661番地。話題
とする遺物が出土したのは、調査の概要の本文
第2ページ付近の記載から、西暦2000年~
2001年前後との事であるとみられる。 
 ここで話題とする杯墨書土器の成立年代は、
第1本文pdfの第57ページ付近の記載から、
芝崎遺跡とは異なり、漠然と奈良・平安期とい
う以上は、はっきりしないように読める。
 遺物の写真は、中島遺跡の古代の遺物写真図
版の載った、前記第5pdfの、写真図版
第100:”奈良・平安時代畑跡、その他出土
遺物5(土師器杯)”の第1段目左に在り、
遺物番号第34;土師器杯が、1枚目である。

中島遺跡泰山1.gif

 次に、同じく第5中島遺跡奈良・平安時代
遺物写真図版の写真図版第106:”奈良・
平安時代畑跡、その他出土遺物11(土師器杯)”
の最下段右に2枚目が在り、遺物番号第110
番との旨、土師器杯にナンバリングされている。

中島遺跡泰山2.gif

 両方とも、山の位置が、底の縁に掛かってい
るのがやや不自然だが、共に「奉山」とも読め
るような、煤模様が有る。
 成立時代がはっきりしないが。平将門の乱の
頃に識字層が付近に住んでいて、武器となるよ
うな、鉱物資源の捜索を行っていたとしても、
不思議では無いような墨書であるように私には
見える。平安時代の豪族は、自分で鉾や矢先の
材料となる、鉄材から掘り出す作業をするよう
な性格の集団であったのではないかと私は疑う。
(2022/09/04)

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