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島根県雲南市槙ヶ垰遺跡で中世泰山墨書土器(長さん)

今回は、島根県の10世紀以降の製鉄遺跡
で、奉山墨書の土師器ないし陶器が出土した
との旨の紹介である。太古より中世まで、
島根県で、鉄の精製が続いていた事を示して
いる例であると見られる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に、登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
14143_3_槙ヶ垰遺跡.pdf
第1pdfから第2pdfの途中までが本文
pdfであり、第2pdfの後半は遺構写真
図版pdf。第3pdfが途中まで遺物写真
pdfで後半が化学分析pdf。第4pdf
は残りの科学分析のpdfのようである。
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
槙ヶ峠遺跡、西暦2004年3月、
国土交通省中国地方整備局・島根県教育委員会。
 発掘報告書冒頭の例言によると遺跡の場所
は、島根県雲南市(当時:大原郡木次町)
大字北原1159。遺物が出土したのは、西暦
2001年前後のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第20ペー
ジによると、Ⅱ区で出土したが、共出土した、
形態が似ているが、備前系陶器ではなくて、底
に縁盛り上げのある土師器が、製鉄遺物と同じ
頃の成立とみられて10世紀成立とされている。
製鉄遺物に対し、年代測定も行われ、その頃の
成立とみられているようである。共出土した
土師器が備前系陶器の誤認も考えられ、製鉄遺
物にも成立年代に幅が有るとの本ブログの管理
人の個人的懸念から、ここでは以下、問題の遺
物の成立年代を、平安後期から中世成立とし議
論する。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第29
の上カラムの”Ⅱ区出土遺物”の最下段左に在
り、スケッチ図第35の遺物番号第24番との
旨、ナンバリングがある。土器や陶器の類の、
底の部分の破片であり、写真は底を撮影したも
ののように、読取れる。

槙ケ峠35_24泰山.gif

 上図のように、ごく微かだが、漢字で奉山と
書かれているような模様が見え、製鉄遺跡であ
る事から、鉄鋼石の算出する山を、中世山伏等
が、崇拝しているようにイメージされる。
 島根県では、弥生時代後期から渡来人により、
鉄の精製が行われているという見方を、鳥取県
鳥取市の遺跡の遺物から、地理的に類似の方法
で斐伊川等を遡って、外国から到達可能と見る
ので本ブログでは、以降取る事にする。が中世
の鉱脈探査についても、単にそれが連続的に引
き継がれたという性質ものなのではないかとい
う事を、この遺跡の、奉山土器・陶器は示唆し
ているように、私は考えている。(2022/09/16)

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