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高知県高知市帯屋町遺跡で18C初姿王的瀬戸物(長さん)

今回は、発掘報告書で寿(壽)と釈文している
江戸期徳川吉宗時代の瀬戸物のカケラであるが、
異字体で書かれていてはっきりしない例である。
将棋の王将と下部が少し似ている。
 遺物の写真がweb上で公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
21192_1_帯屋町遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
高知市文化財調査報告書第41集帯屋町遺跡、
2017年3月、高知市教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場所は、
高知県高知市本町4丁目1-35。遺物が出土
したのは西暦2014年~15年のようである。
高知市の繁華街で、今でも帯屋町という名称は、
残っているとの事である。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第37ペー
ジによると、遺物は第4号土坑で出土したが、
共出土した遺物の形から、17世紀後半~18
世紀前半成立と見られているようである。江戸
期、享保の改革の頃の物品である。
 遺物の写真は発掘報告書の、写真図版(PL.)
第16の第3段目右に在り、遺物番号第143
番との旨、ナンバリングされている。瀬戸物の
カケラのように私には見える。

帯屋町主王将.gif

 上図のように、外側にぐるりとであろうが、
姿(卅を90°回転した字)王的と分解すれば、
3文字になる染付け模様が、少なくとも12文
字以上、並んだ柄であると解釈できる。発掘
報告書に解釈として”壽”等と釈文されている。
発掘報告書の回答で穏当だろうが、縦線が連続
しているので異字体と解釈せざるを得ないと見
られる。察するに新婦の親族が、新郎側親族へ
婚礼で出す引き出物の湯のみであって、

新郎の姿が凛々しいのを、「姿王的」と読める
異字体で書いて、「寿」と引っ掛けている

のであろうと疑える。王王将とか主王将と、
一瞬読んでしまいそうであるが、元々それに類
似の内容が、含有されている柄のようである。

披露宴を盛り上げる為のアイテム

だろうか。恐らく、特注でわざわざ作らせたの
であろう。
 つまりは高知市のこの付近の住人が、特注で、
湯のみが作れる程度に、徳川吉宗の時代の頃に
裕福であった事を、示している疑いが有るので
あろう。(2022/09/07)

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