SSブログ

岩手県盛岡市飯岡才川遺跡で9C奔土刻書土器(長さん)

今回は、古代の岩手県の律令村で奉土と刻られ、
漢字で王に見える模様も有り、朝廷奉納用品の
容器ではないかと疑われる遺物の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
29320_1_飯岡才川遺跡第3次発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書第393集
飯岡才川遺跡第3次発掘調査報告書、西暦2002年、
盛岡市・財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場所は、
盛岡市飯岡新田2地割110-1。遺物が出土
したのは西暦2001年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第33ページ
付近によると、遺物は第7号住居跡で出土した
が、9世紀前半の、平安時代初のものであると
見られているように、読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第42:
”出土遺物(17)”の右上に在り、遺物番号
第189番との旨、ナンバリングされていて、
甕の下部の破片で、底に刻書が在るように写真
からは認識される。

飯岡才川189奔土.gif

 上図のように、見栄えはしないが、写真の左
下に漢字で奉と彫ったように見え、その右上に、
土か士か王に見える、傷模様が在る。甕に入れ
た土を奉じるというのは不思議だが、更に土の
字の左上に、小さくかつ薄く、王の字のように
見える煤模様が在る。
 よって朝廷に納める収穫物を入れる甕の破片
のように見える。発掘現場は、盛岡市の古代の
集落跡と見られているようであり、律令集落で、
収穫物を入れる容器として、出土遺物は使用さ
れた疑いがあるように、私は考える。なお、こ
の遺跡のその折の発掘で、「夲」と、かなり濃
く書かれた墨書土器が共出土しており、奉納の
意味ではないかと疑われているようである。今
回紹介した、線刻の指摘が無い遺物と、用途は
同類であろう。(2022/09/17)

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー