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愛媛県松山市石井東小学校遺跡で弥生末崟王墨書包丁(長さん)

今回は弥生式土器であるが、包丁型をした比較
的レアーな形に見える土器遺物に、「鉱脈含有
の険しい山の頂の王」の意が含まれるとみられ
る、「崟王」と書かれた、四国愛媛県松山市産
の、出土遺物の紹介である。愛媛県にも、
漢王朝の時代から帰化人が居して、鉱物探索等
を、していたのではないかと疑われる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
12059_2_石井・浮穴の遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
松山市文化財調査報告書65石井・浮穴の遺跡、
1998、松山市教育委員会・
財団法人松山市生涯学習振興財団埋蔵文化財センター。
この発掘報告書には何か所かの遺跡の発掘報告
結果が載っている。が、話題とする遺物はその
うち、石井東小学校構内の調査時出土したとの
事である。
 発掘報告書第2写真図版pdf末尾の抄録に
よると、遺跡の場所は愛媛県松山市越智町27
-1の石井東小学校構内。遺物が出土したのは、
西暦1978年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第1本文
pdfの第46ページ付近の記載によると、
弥生時代終末期の3世紀頃とみられているよう
に読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書第2写真図版
pdfの写真図版第23:”SB6出土遺物
(110、122~125、133)”の、
第2段目右に在り、遺物番号第133番との旨、
ナンバリングされている。土器であるが、用途
は包丁と考えられているようである。

石井東小学校崟王.gif

 上図のように、右上に小さく漢字で「王」と
書かれているように見える模様が目立ち、
よく見ると、その左上に崟(ごん)と書かれて
いて、険しい金山の王のような意味ではないか
と、本ブログの管理人は疑っている。なお刃先
にあたる、図で下部中央に、はっきりしないが、
「山」と一文字、孤立して書かれている疑いが
ある。「崟王」であって、多分だが奔王ではな
いので、将棋に関連しないであろう。
 使用する人間が、3世紀末頃に鉱脈探査を
しており、当用漢字に無い崟の字まで書けるの
で、後漢王朝期ないし三国鼎立時代の中国人等
ではないかと疑われる。
 瀬戸内海から川を少し上って到達可能だった
箇所には四国松山でも、弥生後期に大陸人が渡
来して、鉱脈探索をしていた可能性があるとい
う事が、疑われるのではないかと私は考える。
(2022/09/05)

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