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岐阜県可児郡御嵩町顔戸南遺跡で6C初山泰墨書土器(長さん)

今回は、顔戸山ノ神遺跡の北西の顔戸南遺跡
で、古墳期5世紀後半から6世紀前半成立と
みられる、山奉と書かれた土器の紹介である。

山ノ神という地名の成立が、格段に古い事を
示している

とみられる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
1847_2_顔戸南遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
岐阜県文化財保護センター調査報告書第58集
顔戸南遺跡、2000、
財団法人岐阜県文化財保護センター。
 なお第1pdfは本文pdfである。その
本文pdf発掘報告書冒頭の例言によると、
遺跡の場所は、岐阜県可児郡御嵩町顔戸。
遺物が出土したのは、西暦1997年前後の
事のようである。
 遺物の成立年代は、土溝第14号で出土し
たが、第1本文pdfの第346ページ付近
の「まとめ」の小結によると、5世紀後半~
6世紀前半の、古墳時代後半の成立と見られ
ているようである。
 遺物の写真は、発掘報告書第2写真図版
pdfの、写真図版第93の上から4段目左
に在り、遺物番号第519番とナンバリング
されている、広口の金魚鉢型の土器片である。

顔戸519山泰.gif

 上図のように、中央下やや右に、小さく縦
に漢字で山奉と書いてあるように見え、右の
下にも、やや、それより大きく奉と書いてあ
るように見える。古墳時代に山岳信仰が存在
したと見られる。
 発掘報告書第1pdfの第8ページ付近の
遺跡分布図によると、名鉄広見線をはさんで、
顔戸南遺跡の南東100メートル前後の所に、
山ノ神という小字名にちなんで、田畑の中に、
顔戸山ノ神遺跡が存在するとあり、この小字
名の山ノ神が、古墳時代後期成立である事を、
匂わせていると私見する。(2022/09/06)

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