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岡山県岡山市足守川加茂B遺跡で弥生後期奔王墨書土器(長さん)

今回は瀬戸内海から足守川等を遡って到達
可能な遺跡で、弥生期後期成立の土器遺物
に漢字で、奉王と書かれたように見える煤
模様のある出土物の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
13054_1_足守川加茂A遺跡足守川加茂B遺跡足守川矢部南向遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
岡山県埋蔵文化財発掘調査報告94
足守川加茂A遺跡・足守川加茂B遺跡・足守川矢部南向遺跡
西暦1995年3月、岡山県教育委員会。
 岡山市の足守川の付近に3つの遺跡が固
まって存在し、そのうち以下に話題にする
遺物は、真ん中の足守川加茂B遺跡で発掘
されたようである。
 発掘報告書末尾の抄録によると、足守川
加茂B遺跡の場所は、岡山県岡山市加茂。
遺物が出土したのは、西暦1982年~
西暦1985年の間のようである。
 遺物の成立年代は、以下2個の土器を
紹介するが、第37号竪穴住居で発掘され
た、ワイングラス型の土器、土器棺第2で
出土した、棺桶の一方とみられる土器共に、
弥生時代後期後半とみられるとの旨が、
発掘報告書の第380ページ、第396
ページ付近に、それぞれ記載されている。
 遺物の写真は、1つ目のワイングラス型
が、発掘報告書の写真図版第154:
”土壙727出土遺物”の第3段目右に在
り、遺物番号第990番との旨、ナンバリ
ングされている。

足守川加茂B奔王1.gif

 2つ目は写真図版第156:土壙729
出土遺物”の下から2段目右に在って、遺
物番号第1066番との旨、ナンバリング
されている。棺桶の蓋と見られているよう
である。

足守川加茂B奔王2.gif

 これらのケースは両方ともにいっしょで、
左から右へかなり大きく、漢字で奉王と書
かれているように見える、煤模様が付いて
いる。
 後者は棺桶であるから、その王自体が
埋葬されていたとみられ、中国漢王朝から
弥生時代に、鉱産資源の採掘等のために、
日本に来訪した帰化人ないしその子・孫が、
文明人としての能力から当然かもしれない
が、現地で王とあがめられ、本人か子・孫
が、弥生時代の終わり頃に、岡山市加茂の
遺跡に埋葬されたという仮説を、完全には
否定できないと私見する。
 当時は、瀬戸内海まで航行し、足守川等
を上って遺跡の場所へ到達する事が、後漢
王朝時代の中国人等にとって、不可能では
無かったことを示しているのではないかと、
私は疑っている。(2022/09/11)

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