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山梨県都留市三ノ側遺跡で古代泰山墨書土器(長さん)

今回は山梨県東部の都留市の、律令集落跡と
みられる遺跡で、地元で作成したと見られる、
甕型の土器の破片に漢字で奉山と書かれてい
るのではないかと疑われる遺物の話題である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
4195_1_三ノ側遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
山梨県埋蔵文化財センター調査報告書第290集
三ノ側遺跡、西暦2013年3月、
山梨県教育委員会・山梨県産業労働部。
 発掘報告書冒頭の例言によると遺跡の場所
は山梨県都留市(旧都留郡谷村)上谷五丁目。
発掘報告書末尾の抄録によると、遺物が出土
たのは西暦2011年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、遺跡自体が奈良後期か
ら、平安時代初期のものと、抄録に書かれ、
第11号土坑から出土したが、発掘報告書の
第120ページ付近によると周辺の住居跡が、
8世紀後半の奈良時代から、9世紀前半の、
平安時代初期と見られているようである。
なお、遺跡は、律令時代の集落跡と考えられ
ているようである。
 遺物の写真は、発掘報告書の巻頭カラー写
真2の中段、”堀之内原タイプ・相模系の
土師器甕”の右側に在り、11号土坑(出土)
との旨、付記されている。

三ノ側遺跡泰山.gif

 上図のように、破片を繋ぎ合わせて、甕の
上部になるような物品で、右側の上部に漢字
で「奉」の字が、下部に縦だが少し左にズレ、
かつ下部が煤に埋もれた形で、漢字の「山」
の字が在って、奉山のようにも見える。ただ
し、第1字目の奉の字は、かなり滲んで、ぼ
やけている。
 遺跡の場所が山際である為、山岳信仰の為
の祭祀用かもしれない。字がぼやけているの
で、確実とまでは言えず、単なる甕の疑いも、
このケースについては有るとは思う。(2022/09/27)
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