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秋田県秋田市後城遺跡で戦国期王将糸巻き(長さん)

今回は、秋田の戦国時代の城跡のごみ捨て溝
から、漢字で王将と書かれた、糸巻き用の木片
のような遺物が出土しているとの旨の紹介で
ある。城で廃物化後、典型例として「蘇民将来」
と書いて有る、角柱状のマジナイ札として、
再利用したのかもしれない。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
14578_2_後城遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
後城遺跡発掘調査報告書、西暦1983年、
秋田地所有限会社・秋田市教育委員会。
 第1本文pdf:
14578_1_後城遺跡.pdf
の発掘報告書第1ページの遺跡の概要によると、
遺跡の場所は秋田県秋田市寺内字後城。同じく
第1本文pdfの冒頭例言によると遺物が出土
したのは、西暦1983年前後のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第157
ページ付近のまとめによると、B地区で出土し
たが、共出土した瀬戸物の内容から、15世紀~
16世紀末の室町時代から、安土桃山時代まで
と見られているように読取れる。十三湊の安東
氏系が居していた城かもしれないとの事である。
以前本ブログでは、青森県の十三湊は、遺物の
うち木製品の歩留まりが悪いので、将棋遺物が
出土し無いのではないかと論じた。
 遺物の写真は、発掘報告書の第2写真pdf
の、写真図版第66:”B地区SX043出土
遺物”の下から2段目右端に在り、遺物番号第
285番との旨、ナンバリングされている。
直方体の木片で、中央にホゾを両側にくりぬい
たような形のように、私には認識され、発掘報
告書の説明の通り、糸巻きに見える。漢字の模
様が見えるのは、右側の写真の面である。

後城王将.gif

 上図のように、凹み部を利用して王、その下
の面に将(の旧字)が、薄く見えるように思う。
 糸巻きに墨書するのは、糸を巻いた状態の通
常の使用中の状態からすると不自然である。だ
から使用後に、マジナイのモニュメントに、糸
等は巻かずに使用したと、考えざるを得ない。

安東氏流の殿様が、戦国時代末に天下取りを夢
見て、糸巻きに将棋の王将と書き後城に飾った

と解釈しても、完全否定はできないだろう。こ
の「王将」は、将棋から来るように私は思う。
青森の十三湊で将棋駒遺物が出土しないのは、
木が腐ってしまうからだけだという仮説を、一
応支持する史料だと私は考える。(2022/09/09)

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