SSブログ

鳥取県鳥取市秋里遺跡で弥生期泰山墨書土器(長さん)

今回は、中国地方の鳥取県鳥取市で、弥生時代
成立とみられる壷型の土器に奉山と書かれている
ように見える土器の紹介である。中国漢王朝時代
の帰化人が裏日本側にも到来しており、鉱物資源
の探索を近畿地方や九州を拠点にするだけでなく、
本州以南の日本の各地で行っていたと解釈できる、
以下遺物の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
70262_1_秋里遺跡松下地区.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
鳥取県埋蔵文化財センター調査報告書65
秋里遺跡(松下地区)、2018年、鳥取県病院局・
鳥取県埋蔵文化財センター。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場所は、
鳥取県鳥取市江津730。遺物が出土したのは、
西暦2016年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第200ペー
ジに弥生時代のものであろうとの旨の示唆が
あり、C14年代測定法から、紀元1世紀程度
と見られているように読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版(PL.)
第73番の、最上段左に在り、遺物番号第
715番との旨ナンバリングされていて、壷の
ように私には見える。

秋里遺跡泰山.gif

 上図のように、写真の右端に漢字で「奉」の
ように見える黒い煤模様が在り、その左側に、
山のように見える模様が在る。
 後漢王朝時代の中国人が、鳥取県鳥取市にやっ
てきて、鉄鋼石を採掘して鉄器を生産しており、
鉄鋼石の採取できる山を、奉じていたのではな
いかと私は疑う。お清め用の水汲み壷だったの
かもしれない。なお、発掘報告書の抄録による
と、鉄器と、方格規矩鏡(後漢鏡)の破鏡が、
この遺跡で同時期、出土しているとの事らしい。
(2022/09/14)

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー