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宮城県山元町熊の作遺跡で古代大師墨書土器(長さん)

今回は太平洋岸で宮城県南端の表題地点で、
郡衙の発掘が行われ、長官の意味の大領と
書かれた土器が何枚か出土したが、そのう
ちの一枚だけ、大師にも読めるという話題
である。仏教寺院も郡衙の付近に有って、
弘法大師が崇拝されていても、特に不思議
は無いのではと見る。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
19036_1_熊の作遺跡ほか.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
宮城県文化財調査報告書第243集
熊の作遺跡ほか;戸花山遺跡・狐塚遺跡・
向山遺跡・熊の作遺跡・犬塚遺跡・新中永窪遺跡・
雷神遺跡・山ノ上遺跡、西暦2016年、宮城県
教育委員会・東日本旅客鉄道会社。
 遺物はこのうち、最大の発見とされる、
郡衙跡とみられる熊の作遺跡で出土したよ
うである。
 発掘報告書末尾の抄録によると、遺跡の
場所は宮城県亘理郡山元町坂元字熊の作。
遺物が出土したのは、西暦2014年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書212
ページ付近の記載等から湿地帯・柱跡から
話題にする遺物及び、類似の模様「大領」
の墨跡の有る遺物が出土したが、8世紀後
半から9世紀前半の古代、奈良時代後期か
ら平安時代初と考えられているように、読
取れる。平安期、古代の遺物なのであろう。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
37:”熊の作2地点出土遺物(12)
墨書土器”の第3段目左から2番目に在り、
遺物番号図版37の第7番との旨、ナンバ
リングされている。杯土器の破片を底面か
ら見ているように、私には見える。

熊の作大師.gif

 上図のように、発掘報告書でも墨書土器
とされ、他の何枚かの墨書土器の漢字読み
「大領」から、この土器も郡衙の長官と思
われる、「大領」であるとされているが、
この遺物だけ領の字のへんが下にズレすぎ
ていて、大局将棋の駒名としても有る、

大師と書かれている

ようにも見える。ひょっとして、長官用で
はなくて、この遺物だけ弘法大師に供える
祭礼用の杯等なのではなかろうか。場所が
律令の郡衙の近辺であり、当時は街中とい
う場所であろうから真言宗の寺院が在って、
弘法大師が祭られていても、特段の不思議
は無いのではないかと疑う。(2022/10/04)

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