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山形県遊佐町上高田遺跡で平安前期山泰墨書土器(長さん)

今回は、古代のその墨跡が文句なしの「
山奉」墨書土器である。「山夲」と、発掘
報告書でも読む。飽海郡遊佐町の遺跡は、
過去2回ほど紹介したが、顕著な陸奥の
律令集落地帯との印象が濃く感じられた。
 遺物の写真がweb上に公開されていて
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
5993_1_上高田遺跡第2・3次発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
山形県埋蔵文化財センター調査報告書第57集
上高田遺跡第2・3次発掘調査報告書、
1998、財団法人山形県埋蔵文化財センター。
 発掘報告書末尾の本文最後尾と写真図版
の間に在る抄録によると、遺跡の場所は、
山形県飽海郡遊佐町大字富岡字上家ノ前。
遺物が出土したのは、西暦1997年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第113
ページの「まとめ」によると、遺跡自体が、
8世紀後半~10世紀後半の間の、奈良時
代末から平安時代前半の間に収まるととれ
る記載が有るように、私には認識される。
 遺物の写真は3枚有り、特に最初の2枚
の山奉類墨書は、鮮明である。
 一枚目は、発掘報告書の写真図版第15
の左下段カラムの4枚の、字が鮮明な墨書
土器のうちの右上に在り、遺物番号第
328番との旨ナンバリングされている。
皿の底の写真のように、私には見える。

上高田山泰.gif

 文句無しに山夲であり、発掘報告書でも
そう読まれ、山岳崇拝であろうとみられる。
 二枚目は、発掘報告書の写真図版第16
の左上段カラムの2枚の、これも字が鮮明
な墨書土器のうちの左に在り、遺物番号第
348番との旨ナンバリングされている。
何らかの容器の土器の底の写真のように、
私には見える。

上高田山奔.gif

 山奔のように見え、字体が徳島県川西
遺跡の奔横の卅と書く奔の字に似ている。
 三枚目は、発掘報告書の写真図版第24
の左上段カラムの2枚の、上から4段目の
左端に在り、これは

木製の椀の底のよう

に、私には見える。遺物番号は第811番
との旨ナンバリングされている。

上高田811泰山.gif

 上図のように、濃さは申し分ないが第1
字目が不明解であり、奉のように私には見
え、「奉山」と書いてある疑いが有ると私
見する。
 以上のように、この遺跡には古代の山岳
信仰が元と見られる、跳び抜けて鮮明な、
墨書遺物が、複数枚出土していると、私に
は認識される。(2022/10/21)

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