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兵庫県神戸市上脇遺跡で9C山泰等墨書杯土器

今回は、以前に古墳時代の王将に見えるが、
字の大きさがバラバラであり、偶然模様で
あろうとした表題の遺跡で、時代は9世紀
と違うが、山奉の類の墨書杯土器が複数出
土しているとの旨の話題である。

 山を奉じる場所ではしばしば、古代には
牧場も存在した

事を示しているとみられる。
 遺物の写真は以前述べたように、奈良文
化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
20175_3_上脇遺跡.pdf
 発掘報告書の表題は以下の通りである。
兵庫県文化財調査報告第232冊
神戸西バイパス関係埋蔵文化財調査報告書Ⅲ
上脇遺跡Ⅰ、2002年2月、
兵庫県教育委員会。
 発掘報告書の末尾抄録によると、遺跡の
場所は、兵庫県神戸市西区伊川谷町上脇で
あるという事である。また、以下の遺物が
出土したのは、以前紹介した王将墨書疑い
土器と同様、西暦1993年前後との事で
ある。
 遺物の成立年代は、以下に紹介する遺物
はほぼ、同系統で同じ時期のものと推定さ
れているようであり、発掘報告書第1本文
pdfの第45ページ付近の説明によると、
9世紀、平安時代初期の頃ではないかと見
られているように読取れる。
 遺物の写真は3枚あり、1枚目は、発掘
報告書第3写真pdfの、写真図版第
143の左上の写真のうち、下の底面の写
真に、明らかな墨書が在る。遺物番号は、
第1569番となっている。

上脇山泰1.gif

 上図のように「山夲」と読めるが、発掘
報告書でも、そう釈文されている。
 2枚目、3枚目は同じ写真図版に並んで
載っている。同じく第3写真図版pdfの
写真図版第162の右側第2段目に左に2
番目、右に3番目と2つ並んでいて、2番
目は第1826番、3番目は第1827番
と、それぞれナンバリングされている。

上脇山泰2.gif

 上図は2枚目で「山夲」のようであり、
発掘報告書でも、その旨釈文されていると
認識する。

上脇山行馬.gif

 上図は3枚目であるが、第2字目は「夲」
とは発掘報告書の主張のように特定できな
い程度に、カスレすぎていると私見される。
在か、行か、夲か良くわからず、更には、
第3文字目として、字の輪郭だけが残って
いるに過ぎないが馬という字が在り山在馬
か山行馬のようでもある。明確ではないが、
かつて、神戸市西区の山の裾野に牧場が有っ
た事を示しているのかもしれないと、私見
される。
 3枚の遺物から、山を奉じる祭祀が遺跡
の場所で盛んだった事は確かであると見ら
れるが、ひょっとすると牧場も在って、古
代にも、鉱物探索で山を開発すると同時に、
軍馬を飼育するため、神戸市西区付近でも、
牧場が営まれていた疑いも、或いは有るの
ではないかと私は考える。(2022/10/13)

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