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長野県飯田市龍江阿高遺跡で古代角行墨書土器(長さん)

今回は、成立年代がはっきりせず、縄文時代
から平安時代の溝址だとされる場所から、
平安時代の可能性も有る、角行に見える墨書
が有るような、土器の小さなカケラ出土の
紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡登録総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
8598_1_龍江城・龍江阿高遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
龍江城・龍江阿高遺跡、1997年、
長野県飯田市教育委員会。
 ここで話題にする遺物は、龍江阿高遺跡の
TAD・A地点で出土したとの事である。
龍江城遺跡と龍江阿高遺跡の間の距離は、
200~300m位で、天竜川沿いに隣接し
ているようである。龍江城は、地名のようで
ある。今田原城という城跡があるが、発掘地
点よりは、天竜川の上流らしい。
 発掘報告書末尾抄録によると遺跡の場所は、
長野県飯田市龍江。遺物が出土したのは西暦
1994年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書に確定でき
なかったとの旨の記載が、第24ページに有
り、土器のカケラは全体として奈良・平安期
だろうとの事である。12世紀成立の遺物と
して以下に議論する。この不確定性は、おお
いに問題である。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第14
の右下カラム”TAD・A溝址出土遺物”の、
右上に在り、遺物番号は写真図版に記載が無
い。土器のカケラと見られているように、ス
ケッチ図からは認識される。

龍江阿高角行.gif

 上図のように、写真の中央やや右にズレて、
黒い煤模様に埋もれて、漢字で角行と書かれ
ているようにも見える暗い模様が在る。
 12世紀の平安末に、将棋の角行が成立し
ている事を、もしかするとこの遺物も、過去
何例かの紹介例同様、示しているのかもしれ
ないと私見される。
 将棋の角行の成立時期に関連するとみられ
る為、土器片の成立年代が絞り込めないのは
たいへん残念である。(2022/10/17)

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