富山県富山市黒埼種田遺跡で中世龍王墨書土器(長さん)
今回は、鎌倉時代末から南北朝時代の初めに
かけて、成立したとされる土師器土器の破片
に漢字で「龍王」に見える模様があり大将棋
に龍王が有る事を示すのかどうかという点に
ついて議論する。
奉王に見える別模様等が有り祭祀用であって、
将棋駒からは、たぶん来ていない
だろうと考える。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
88598_1_黒崎種田遺跡発掘調査報告書.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
富山市埋蔵文化財調査報告101富山市黒埼種田遺跡
発掘調査報告書、西暦2020年、富山市教育委員会。
発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場所
は、富山県富山市黒崎。遺物が出土したのは
西暦2019年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、遺物自身の形から、
発掘報告書第18ページ付近に、14世紀
前半頃と考えられているように、読取れる。
鎌倉時代末から南北朝時代の初めにかけての、
本ブログにとって、注目すべき遺物と見て取
れる。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第21:
”遺物(中世土師器)”の下から3段目の右
から2番目に在って、遺物番号第269番と
の旨、ナンバリングされている。土器の破片
のように、私には見える。
真ん中へんを拡大すると、次のようになる。
上図のように、左端下に寄った所の煤が有
り、その煤に乗る感じで、擦れて「龍」と書
かれているように見える。王は、その右隣の
ほぼ中央部のはっきりしない、やや小さな煤
模様の、下の部分に有るが、より切れ切れで
ある。
鎌倉末期なら普通唱導集時代の大将棋が
成立していて、通説の後期大将棋でも、本ブ
ログ説の108枚制大将棋でも、龍王が在る
はずである。なお、はっきりとした将棋駒の、
この時代の龍王は出土していないので、この
遺物が将棋に龍王が有る証拠だとしたら、貴
重だ。
しかしながら、さきほどの中央わずかに右
の模様を良く見ると、「髙奉王」と、左から
右に横に書いて在るようにも見える。
よって、龍神信仰と先祖や幕府・建武政府
への献上品を入れる儀式や貢物用の容器だと
考えられ、将棋から来る可能性はやや薄れる。
字が擦れているので、偶然模様の可能性も
否定できない例と考えるが、墨書土器だとし
ても、祭祀用なのであろう。
なお、偶然模様だと思われるが、王とみら
れる字模様の更に右側に、小舟に人物が2名
乗っている絵が、時計回りに90°回転して
書かれているようにも私には見える。船首に
女性、後方の後尾でエンジンモーターの調整
をしている最中のようにも見える「人物」は、
男性のようだ。(2022/10/30)
かけて、成立したとされる土師器土器の破片
に漢字で「龍王」に見える模様があり大将棋
に龍王が有る事を示すのかどうかという点に
ついて議論する。
奉王に見える別模様等が有り祭祀用であって、
将棋駒からは、たぶん来ていない
だろうと考える。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
88598_1_黒崎種田遺跡発掘調査報告書.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
富山市埋蔵文化財調査報告101富山市黒埼種田遺跡
発掘調査報告書、西暦2020年、富山市教育委員会。
発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場所
は、富山県富山市黒崎。遺物が出土したのは
西暦2019年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、遺物自身の形から、
発掘報告書第18ページ付近に、14世紀
前半頃と考えられているように、読取れる。
鎌倉時代末から南北朝時代の初めにかけての、
本ブログにとって、注目すべき遺物と見て取
れる。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第21:
”遺物(中世土師器)”の下から3段目の右
から2番目に在って、遺物番号第269番と
の旨、ナンバリングされている。土器の破片
のように、私には見える。
真ん中へんを拡大すると、次のようになる。
上図のように、左端下に寄った所の煤が有
り、その煤に乗る感じで、擦れて「龍」と書
かれているように見える。王は、その右隣の
ほぼ中央部のはっきりしない、やや小さな煤
模様の、下の部分に有るが、より切れ切れで
ある。
鎌倉末期なら普通唱導集時代の大将棋が
成立していて、通説の後期大将棋でも、本ブ
ログ説の108枚制大将棋でも、龍王が在る
はずである。なお、はっきりとした将棋駒の、
この時代の龍王は出土していないので、この
遺物が将棋に龍王が有る証拠だとしたら、貴
重だ。
しかしながら、さきほどの中央わずかに右
の模様を良く見ると、「髙奉王」と、左から
右に横に書いて在るようにも見える。
よって、龍神信仰と先祖や幕府・建武政府
への献上品を入れる儀式や貢物用の容器だと
考えられ、将棋から来る可能性はやや薄れる。
字が擦れているので、偶然模様の可能性も
否定できない例と考えるが、墨書土器だとし
ても、祭祀用なのであろう。
なお、偶然模様だと思われるが、王とみら
れる字模様の更に右側に、小舟に人物が2名
乗っている絵が、時計回りに90°回転して
書かれているようにも私には見える。船首に
女性、後方の後尾でエンジンモーターの調整
をしている最中のようにも見える「人物」は、
男性のようだ。(2022/10/30)