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福岡県福岡市有田七田前遺跡で縄文晩期龍山石剣(長さん)

今回は、縄文時代晩期と言われる表題の遺跡
から漢字で龍山と書かれているように見える、
武具で著名な石剣が出土しているという、謎
の話題である。

日本に漢字が、中国の春秋時代から有ったの
だろうか。

 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
17041_1_有田七田前遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
福岡市有田七田前遺跡、1983年、
福岡県教育委員会。
 発掘報告書第4ページの「遺跡の立地と環
境」によると遺跡の場所は、福岡県福岡市
早良区大字有田字七田前。遺物が出土したの
は、同じく冒頭の例言によると西暦1977
年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、「序」に、遺跡全体が、
縄文時代晩期のもので、遺物のほとんどが、
その時代のものとされていると読み取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
14の最上段の左から2番目に在り、遺物
番号第41番との旨、ナンバリングされて
いる。発掘報告書の第32ページ付近に、

石剣である

と書かれているように読取れる。

有田七田前龍山.gif

 上図のように、写真の右隅に、縦に漢字
で龍山と読めるような黒い模様が、明らかに
有ると私見する。

そもそも、縄文時代には戦闘は無かったと
みられ、西洋紀元頃、朝鮮半島から渡って来
た渡来人が、弥生時代の石剣に書いた字

なのではないかと、個人的には疑う。武器に、
銘を入れる習慣も、大陸からの伝来であり、
弥生中期頃には、九州北部では日本にも存在
した疑いが在るのではないかと私見する。そ
もそも、

縄文晩期石剣が、福岡県から出土したとした
ら、かなり珍しい事

なのではないのだろうか。
 なお、将棋駒名に龍山は無い。近代の将棋
の駒師の銘に、そのような名称が有るように
認識するが、時代が全く違い関連性は、たぶ
んだが無いのだろう。(2022/10/29)

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