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奈良県田原本町多遺跡で時期不明奔馬墨書土器(長さん)

今回は、弥生時代から中世のどこかで
成立の奉馬墨書土器が、奈良県の田原本町
では、飛鳥川に散乱しているという話題
である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
1635_1_多遺跡発掘調査報告.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
田原本町文化財調査報告書第1集多遺跡発掘報告、
1985年、(奈良県)田原本町教育委員会。
 発掘報告書冒頭の例言によると遺跡の
場所は奈良県磯城郡田原本町大字多(おお)。
遺物が発見されたのは、1985年より、
かなり前のようであるが、このケースははっ
きりしない。
 遺物の成立年代は、遺跡が弥生時代から
中世の間であるという事以外、良くわから
ない。現在の飛鳥川の河川で拾われたよう
である。私には古墳時代の高杯土器の足の
部分の破片のようにも見える。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
14:”飛鳥川採集遺物(土器)”の、上
カラム”a.弥生土器(1・2・14・
15・16・17・18),土師器(6・
7・8・9)”の、第3段目、最下段右か
ら2番目に在り、遺物番号、河川採集土器
の第9番との旨、ナンバリングされている。
土師器であるようだ。

飛鳥川奔馬.gif

 上図のように、煤のような黒い模様が、
かなりたくさん在り、煤模様の上に乗る形
で、下中央やや左に、馬という、やや薄い
模様が有るようにも見える。それより少し
離れて右側のほぼ対称の位置に、奉が擦れ
て書いてあり、「奉馬」のようにも読める
煤模様が在る。付近で昔、放牧が行われ、
有力者に献上されたのかもしれない。
 田原本町の飛鳥川では、地面ではなく、
川の中に、古墳時代頃の奉馬土器が沈んで
いる疑いがあるらしい。(2022/11/02)

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