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群馬県前橋市下増田越渡遺跡で11C奔王釜土器(長さん)

今回は群馬県前橋市の前記古代の遺跡から、
漢字で奉王のように見える、釜と見られて
いる土器出土の話題である。用途から見て

祭祀と結びつかず、正直謎の物品

である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
15496_1_徳丸高堰II遺跡・徳丸仲田III遺跡・
西善尺司III遺跡・下.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
徳丸高堰Ⅱ遺跡・徳丸仲田Ⅲ遺跡・西善尺司Ⅲ遺跡・
下増田常木Ⅱ遺跡・下増田越渡Ⅳ遺跡、1999、
(群馬県)前橋市埋蔵文化財発掘調査団。
 今回話題にする遺物は下増田越渡Ⅳ遺跡
の古代の住居跡で出土したようであり、
この発掘調査は高速道路の改良事業に伴う
拡張工事で行われたので、それぞれの遺跡
が、直線状に並んで分布している。相互に
関連性は薄く、個々の遺跡の成立年代は、
ばらついていて、遺跡それぞれ個々の性格
さえ、少なくともこの調査の時点で、はっ
きりしなかったようである。
 発掘報告書末尾の抄録によると越渡遺跡
の場所は、群馬県前橋市上増田町1535。
遺物が出土したのは、西暦1998年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、問題とする遺物が、
B区北側住居跡群の住居跡第9号で出土し
たが、発掘報告書の第51ページの記載に
よると、出土遺物の形等から10世紀後半~
11世紀にかけて存在した第9号住居跡の
カマドに有った鍋土器の破片とみられると
の事のようである。
 遺物の写真は、発掘報告書第51ページ
の下増田越渡Ⅳ遺跡編の写真図版第25の、
最下段左に有って住居跡(H)-9-4と
の旨、ナンバリングされている。寸胴型の
土器の一部のように、私には見える。

下増田越渡奔王.gif

 上図のように、ほぼ中央のやや下に漢字
で奉のようにも見える煤模様が、煤に被っ
て在り、その右に、主か王のようにも見え
る模様が在る。pdfにするときに感度が
落ちたようで、写真の解像度は余り良く無
いように見える。
 左から右へ、

奉王とも読めるが、王の上に点が有り、
「奉主」と読むべき

かもしれない。
 カマドで使う鍋を、朝廷や国衙に献上す
るというのは変なので。11世紀頃の、こ
の棟の住人によって

奉主と書かれ、器物を廃棄等するときの、
つくも神信仰等の縁起カツギを示している

のではないかと私は想像する。が、はっき
り断定する力は、私には無い。(2022/11/19)

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