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愛知県豊田市水入遺跡で古代奔王墨書土器(長さん)

今回は、愛知県豊田市の遺跡で古代の奉王墨書
土器が出土したとの旨の話題である。墨書に、
山の絵が描いて在り、奈良・平安期に古墳時代
の豪族の頭領が、山の神として信仰されていた
記憶が存在した事を示しているようにも見える。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている
 pdfファイル名は以下の通りである。
1550_3_水入遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
愛知県埋蔵文化財センター調査報告書第108集
水入遺跡、2005年、財団法人愛知県
教育サービスセンター・愛知県埋蔵文化財センター。
 発掘報告書第1本文pdfの冒頭の例言によ
ると、遺跡の場所は愛知県豊田市渡刈町西糟目・
大屋敷。遺物が出土したのは、西暦1999年
前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書、同じく第1
本文pdfの、第203ページ付近の記載によ
ると、広く古代のどこかの時代に成立したと考
えられているように読取れる。ここでは、古墳
時代に続く、飛鳥・奈良期と仮定して以下に議
論する。なお遺物には墨書が有るとされ、
「公寺」と釈文されているようである。
 遺物の写真は発掘報告書第3写真図版pdf
の写真図版第72:”遺物”の最上段左端に在
り、遺物番号第1723番との旨ナンバリング
されていて、写真は外面だという事である。皿
のように私には見える。

水入遺跡奔王.gif

 上図のように、第1字目の上の方のハの字が、
山の絵のように私には見え、それを取り除くと、
上部が「止」のようでもあり悩ましいが。奉の
下が擦れた字が、やや反時計回りに回転して書
いてあるようでもあり、第2字目は王に見える。
 王の第1画目は字であるにも係わらず汚れと
見た上で「寺」の土とし、寸は下に切れて欠け
ていると、発掘報告書は見たのかもしれないが。
それで、絶対に間違いないというほど、明確に、
墨書の字自体が書いてはいないと私見する。
 山岳信仰の祭祀用の皿土器であり、山には王
が祀られていると、飛鳥・奈良期の時点でも見
ていたのではないか。すなわち現代人がイメー
ジする山ノ神ではなくて、大陸からの帰化人子
孫である古墳時代豪族王崇拝・被支配の記憶が、
愛知県豊田市に古代に、まだ残っていたのでは
ないかと、私は疑っているという事である。
(2022/11/16)

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