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宮崎県延岡市赤木遺跡で弥生期奔王墨書土器(長さん)

今回は九州の、瀬戸内海海岸から極端に入らな
い場所の宮崎県延岡市の旧石器~縄文期の遺跡
で、弥生時代の住居跡周辺から、漢字で奔王と
書かれているように見える甕型土器とみられる
遺物が、出土しているとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
3905_3_赤木遺跡第8地点第一次調査.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
宮崎県埋蔵文化財センタ-発掘調査報告書第182集
赤木遺跡第8地点(第一次調査)、西暦2009年、
宮崎県埋蔵文化財センター。
 発掘報告書第1本文pdf冒頭第2ページの
「第3節遺跡の位置と環境」と第3pdf末尾
の抄録によると、遺跡の場所は宮崎県廷岡市
舞野町字赤木2174番地4。遺物が出土した
のは、発掘報告書第1本文pdfの冒頭の例言・
第3pdf末抄録によると西暦2003年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第1本文
pdf「第3節弥生時代」の第125ページ付
近の説明によると、遺物は唯一の第1竪穴住居
跡で出土したが、この発掘で唯一検出された、
弥生時代成立の遺構であると、見られているよ
うに読み取れる。以下仮に西洋紀元1世紀頃と
して議論する。
 遺物の写真は第3写真図版pdfの写真図版
第42の最上段左に在り、遺物番号第383番
との旨、ナンバリングされていている。、破片
を繋ぎ合わせ、甕を再現させたとの旨発掘報告
書本文第1pdfの第125ページ付近で説明
されている。

赤木遺跡奔王.gif

 上図のように、写真の中央・わずかに右に寄っ
て、かつ全体が少し、時計回りに回転して縦に、
漢字で奉王と書いて在るようにも見える煤模様
が有る。が、王の中央の横棒が、なぞって書い
て在るようにも見えやや不自然感がある。仮に、
墨書だとして、渡来人が書いたとしか説明でき
ず、王とは、後漢の帝配下の諸侯の事のよう
にも見えると思える。中身は不明だが、鉄等の
鉱産資源を入れるのが、元々の容器の使用目的
だったのかもしれないと、私は疑う。(2022/11/07)

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