SSブログ

奈良県御所市観音寺本馬遺跡で弥生中期墨書木製品(長さん)

今回は以前に弥生期の「奉馬」墨書土器を
紹介した奈良県御所市の観音寺本馬遺跡で、
同じ発掘報告書で、「奉王」と書かれたよ
うな黒い模様の在る護岸用杭とされる木片
も、発掘されていたとの旨の紹介である。
こちらも弥生時代のものらしい。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
19640_1_観音寺本馬遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
御所市文化財調査報告書第48集観音寺本馬遺跡、
2015年12月、御所市教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場
所は、奈良県御所市大字本馬。遺物が出土
したのは、西暦2009年前後の事のよう
である。以上は、以前にも紹介した。
 今回の遺物は、B地区の第4溝内で出土
した護岸杭だとみられているが、共出土し
た遺物土器の形態から、弥生時代中期頃に
成立と取れる旨が、発掘報告書の第175
ページ付近に記載されている。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第74:
”B地区溝4出土遺物(3)”の最上段右
に在り、スケッチ図171番の遺物番号第
26番との旨ナンバリンされている。板状
で卒塔婆のように一見すると見えるが、状
況から発掘報告書では、既に述べたように
護岸用の杭とみられているように読取れる。

観音寺本馬奔王.gif

 上図のように、板の少し上で左に少し寄
り、漢字で「奉王」のようにも見える黒い、
焦げたような模様が見える。
 地域の有力者を崇めて、識字層が書いた
のかもしれないと、個人的には疑う。前漢
王朝からの帰化人筆としか、私には想定で
き無い。土木建築に長けた者だろう。
(2022/11/29)

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー