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栃木県宇都宮市権現山北遺跡で古墳期奔車土器(長さん)

今回は以前に「下野」とみられるが王将に
も誤認される墨書土器を紹介した、栃木県
宇都宮市権現山北遺跡で、発掘報告書でも
墨書土器と明示された、将棋駒名を連想さ
せる別の墨書土器が出土。しかし本ブログ
の管理人がうっかりと、見落としていたと
みられるという旨の紹介である。
 発掘報告書は前に紹介した以下の、奈良
文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されたもの
である。pdfファイル名と、発掘報告書
名を順に示す。
1482_2_権現山北遺跡.pdf
宇都宮市埋蔵文化財調査報告第5集
権現山北遺跡、1979年3月、
宇都宮市教育委員会。
 遺跡の場所は、栃木県宇都宮市茂原
字花欠。発掘調査は1977年前後。
 遺物の成立年代は、古墳時代中期から
後期の、5世紀から6世紀前半とされてい
るようとの事であった。なお、以下の遺物
は、17号住居址、2号住居址、それぞれ
で発掘されている。前者は明らかな墨書土
器。成立年代は住居址全体が、古墳期中~
後期とされていたと認識する。
 遺物の写真は、発掘報告書前記第2写真
図版(PL.)の第63図に第17号住居
址の分が在り、第17号住居址土器の第1
番との旨、ナンバリングされているようで
ある。

権現山北奔車.gif

 上図のように文字数が多く、発掘報告書
の第1本文pdfの第185ページの
久保哲三氏の読みによると「大大上(車へ
んに重)念念右」の7文字だということで
ある。図版には文字は全部撮影されている
と多分だが、久保氏は見ているとみられる。
本ブログは仮に「奉奉車金奉奉」と6文字
と読み、「大上」は「奉」、「念念右」は、
「金奉(一部上書)奉」で心と右で最後の
字の奉だと見る。車の字のツクリ(重)は
ヨゴレとみる。
 古墳時代に栃木県の宇都宮市へ

車が大陸から輸入されており、金と共に、
土地の有力者へ、献上されたことを示して
いる祭祀土器

ではないかと疑っているという事である。
 ところで、この遺跡の玉将墨書は下野と
読んだが、もう一つ淡いが、王将にも見え
なくも無い遺物が有るのに気がついた。
 発掘報告書第2写真pdfの写真図版第
32(PL.32)の、最下段右に在り、
2号住居址の第5番との旨、ナンバリング
されている、金魚鉢のような形の土器の側
面である。

権現山北王将2.gif

 上図のように、中央やや右に縦に、漢字
で王将に見えなくも無い模様が在る。なお、
王の上部が、かなり濃い。将の字が、薄い
がかなり大きめである。
 特に将の部分が淡すぎてはっきりせず、
この模様の「将」は今のところ、偶然模様
ではないかと私は疑っている。(2022/11/12)

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