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山梨県韮崎市坂井南遺跡で4C王将墨書土器(長さん)

今回は、古墳に埋葬されていたとみられる
甕型土器に、漢字で王将と書いたような、
煤模様の有る例の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
7239_1_坂井南遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
山梨県韮崎市坂井南遺跡Ⅲ、1997、
韮崎市教育委員会・韮崎市遺跡調査会・
東京エレクトロン株式会社。
 発掘報告書冒頭の例言によると、遺跡の
場所は、山梨県韮崎市藤井町北下条字大原。
遺物が出土したのは、西暦1993年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、第4号周溝墓で出土
したが、この遺跡の周溝墓は、発掘報告書
のまとめ、第123ページ付近の記載によ
ると、古墳時代前期、4世紀成立と見られ
ているように読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の写真図版第
21の上の方のカラム、”4号周溝墓出土
遺物”の最上段左に在り、遺物番号第47
番との旨ナンバリングされている。甕土器
のように、私には見える。

坂井南47王将.gif

 上図のように、左端に3つの煤の塊のよ
うな黒い模様が有るが、そのうち上の2つ
が縦に漢字で、王将のようにも見える。
11世紀頭に日本の将棋が成立したと見る
本ブログとは、かけ離れた物品の姿である。
 そこで写真をpdfファイル上で拡大し
てみると、

將の左下部分の寸が丁になっていて、最終
画の点が見当たらない。

いっけんすると字が本物に近いのであるが。
今のところ、上記の最終画「点」の非存在
を根拠に、この土器の将に見える模様は、
偶然模様であるとの見解を、本ブログは取
る事とする。(2022/11/10)

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