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岩手県宮古市津軽石大森遺跡で奈良期木将墨書土器(長さん)

今回は、岩手県の三陸沿岸の河川河口付近の
遺跡で、奈良期の律令集落跡と見られる遺跡
から、金魚鉢型の椀土器に「木将」とも読め
るような、煤模様が有るとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
16298_1_津軽石大森遺跡発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書第641集
津軽石大森遺跡発掘調査報告書、2015年、
国土交通省東北地方整備局三陸国道事務所・
(公財)岩手県文化振興事業団。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場所
は、岩手県宮古市津軽石第4地割73-4。
遺物が出土したのは、西暦2013年前後の
事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第99ペー
ジ付近によれば、遺物は第33号竪穴建物跡
で出土したが、遺構の特徴と出土物品から、
8世紀前半~中頃の奈良時代と推定されてい
るように読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書第66:”土師器
21(33・34号竪穴建物跡)の上から2
段目左に在り、遺物番号第291番との旨、
ナンバリングされている金魚鉢のような形の
土器である。発掘報告書では”椀土器”であ
ると見ているようである。

津軽石大森木将.gif

 上図のように、左下に無理読みすると漢字
で”将”と読めるような、煤模様が有り、そ
れに気が付くと、その上方の煤模様が「木」
にも見えると気が付き、

大大将棋に有る「木将」が連想される。

 遺跡は、律令地帯跡であろうが通常の集落
で、当時アイヌ民族との交易の接点の場所で
あったと、推定されているようである。
墨書で「木将」と書かれた遺物が有ったとし
ても、何を示すのかは余り判らないようだ。
 そこでマイクロソフトのimeパッド等を
使用し調べてみると、第2字目は、右上の部
分が将の字に、比較的良く似ているという点
をヒントにして、

桴(イカダ・垂木の意味)ではないか

と疑われてくる。「木桴」と土器に書いて、
イカダの備品用の鉢か椀を、鉦鼓を打つ
キバチと洒落て表しているという意味である。
 遺跡は現在でも、津軽石川の河口川岸付近
に位置するようなので。奈良時代にイカダが
あっても不思議は無く、

木桴(きばち)と書いてあって、木将とは書
いてないので大大将棋とは無関係ではないか

と、私は解釈した。(2022/11/08)

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