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福島県南相馬市仲沖遺跡で縄文期奔鬼墨書土器(長さん)

今回は、福島県南相馬市仲沖遺跡で、縄文
土器に奉鬼と書かれているように見える、
墨書土器出土の話題である。

漢王朝時代の渡来人による道教の鬼信仰が
現地で行われたことを示している

と見られる。
 遺物の写真がweb上に公開され、発掘
報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
99940_1_中島舘跡・仲沖遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
南相馬市埋蔵文化財調査報告書第27集
中島舘跡・仲沖遺跡、西暦2018年3月、
南相馬市教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場
所は、福島県南相馬市小高区飯崎字仲沖。
遺物が出土したのは西暦2014年前後、
4~5年の間のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書末尾の
まとめ第80ページによると縄文土器土器
であるとされるが、正確な年代は、
記載されてい無い。以下、福島県の縄文晩
期、西洋紀元前後と仮定し、論を進める。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
78:”遺構外出土遺物(8)”の左上に
あり、第56スケッチ図:”遺構外出土
遺物(7)”の第2番とナンバリングされ
た遺物と同一であるとみられる。写真図版
とスケッチ図の表題枝番が8と7とで、1
つズレているように、私には認識される。

仲沖遺跡奔鬼.gif

 上図のように、右上に奉、左下に鬼とあ
り、奉鬼で、道教の鬼信仰が行われている
ように見える。漢王朝時代に中国人が福島
県相馬市の現地遺跡に、船で太平洋岸から
小高川を少し遡って渡来し、道教を信仰し
ながら鉱山探索を行っていたのではないか
と個人的に疑う。
 その証拠に、発掘報告書の別の場所、写
真図版第70:”4号土坑(遺跡地図メッ
シュ15のT地点)出土遺物(18)”の、
第3段目左に、以下のように、8番とナン
バリングされ、漢字で奉山と読めるような、
模様のついた別の、土器出土遺物が発掘さ
れている。なお、この図版に対応したスケッ
チ図を、目下私は発見しておらず、第2番
目の遺物の成立年代は、第1番目と同じか
どうかは、私には厳密には判かってい無い。

仲沖遺跡泰山.gif

 上図のように、遺物写真のほぼ中央に、
漢字で奉と読めるような煤模様が在り、
その右下に、山に見える黒い模様が在る。
 上記2つの遺物同士で、西洋紀元前後で
同じ成立時代のものだと、仮に仮定すれば、
渡来人が鉱山探索等で、日本に渡来したと、
推定する事も可能なのではないかと、私見
しているというわけである。(2023/01/04)

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