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沖縄県那覇市大嶺村跡遺跡で昭和期歩兵歯ブラシ(長さん)

今回は、将棋関連の遺物の紹介ではなく、
その正当性の議論であり、歩兵と読めない
ものの「歩兵」と書いたのであろうと見ら
れる、遺物に書かれた文字の紹介と議論で
ある。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
36127_1_大嶺村跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
沖縄県立埋蔵文化財センター調査報告書第101集
大嶺村跡、2019年3月、沖縄県立埋蔵文化財センター。
 発掘報告書末尾の抄録によると、遺物の
出土遺跡の場所は、沖縄県那覇市字大嶺
那覇空港。
 遺物が出土したのは西暦2016年前後
の事のようである。
 遺物は太平洋戦争中の日本軍、第45
歩兵連隊の兵士の持ち物とみられているよ
うに、発掘報告書の第53ページの記載か
ら読取れると認識する。
 遺物の写真は、拓本の紹介が発掘本文の
第53ページに在ると同時に、巻頭図版第
6中段右にもある。

大嶺村跡歩兵.gif

上図は、そのうちの拡大写真であり、発掘
報告書第53ページで「(星)歩兵第四十
五聯隊酒保」の旨、釈文され旧日本軍小禄
飛行場に関連する資料とみられているよう
である。人間の歩兵連隊を示していると見
られ、昭和期の日本将棋の存在の証拠とは、
無関係と考えられるように思う。
 問題は、現物の字にヨゴレによる偶然線
や凸凹が加わり、将棋駒名「歩兵」に見え
ない事があるという点と考える。
 上図では、「歩免炭四十万・・・」のよ
うにも見え、特に第2字目は拓本を取ると、
やっとこさ目立たなくなる汚れ線が目立ち、
兵の最終画はカスレて、更に「兵」には見
えなくなっている。
 その為、本ブログでこれまで紹介した
墨書等のうち、

「免」と読んだ例があったが、本当は「兵」
だった可能性のある遺物が、存在した疑い
がある

と思えるほどである。
 そこで再度良く見直してみるとたまたま、
兵の下のハの部分の左が長すぎる

癖字の場合は、お手上げであると見るしか
ないのではないか

というのが、この遺物を見た結論となる。
 将棋駒名と判断される条件を緩めると、
現実的にノイズ情報が、耐えられない程度
に増大すると私は認識するので、

現実にはこのケースに似た例は、今後も、
見逃しは諦めるしかない

と今のところ結論する。(2023/01/29)

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