SSブログ

広島県東広島市聲門遺跡で13~4C山泰墨書土器(長さん)

今回は、広島県東広島市聲門遺跡で鎌倉時
代から、南北朝時代にかけて成立とみられ
る廃棄土器に、山奉と墨書のある遺物の紹
介である。遺跡付近は盆地で龍王山の南麓
のため、中世に山を奉じたという経緯のよ
うである。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
62752_1_聲門遺跡・安芸国分寺周辺遺跡発掘調査報告書.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
東広島市教育委員会文化財調査報告書第53集
聲門遺跡・安芸国分寺周辺遺跡発掘調査報告書、
西暦2015年、東広島市教育委員会。
 遺物は、この2箇所の遺跡のうち、最初
の方の聲門遺跡で出土したようである。
 発掘報告書冒頭第2ページ付近の「位置
と環境」によると遺跡の場所は、広島県
東広島市西条町吉行。第1ページの
「はじめに」によると、遺物が出土したの
西暦2014年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、遺物は聲門遺跡の第
1溝状遺構で出土したが、発掘報告書第
51ページ付近の「まとめ」によると、
土師器とみられる出土品は、全体として、
13世紀~14世紀、鎌倉時代から南北朝
時代にかけてのものと見られているように、
読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第14
の下から2段目に在って、聲門遺跡出土
土器の遺物番号第9番との旨ナンバリング
されている。右側の底の写真とみられる
部分に墨書と疑われる模様が有る。

声門山泰.gif

 上図のように、底の中央部に縦に漢字で
2文字、「山奉」のように見える模様が有
る。北側の標高数百メートル前後の龍王山
を、鎌倉時代前後にも奉じたものではない
かと私は疑う。(2023/01/25)

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー