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福岡県吉富町和井田遺跡で古墳期奔王墨書土器(長さん)

今回は、古墳時代特有の口が鍔状になった
羽根型の土器に、漢字で奉王と書かれて
いるように見える、古墳時代の遺物土器
出土の話題である。なお、以前複数の古墳
時代の奉馬墨書遺物を紹介した、福岡県
築上郡上毛町郷ケ原遺跡、弥生時代後期の
奔王墨書遺物を紹介した、同築上郡上毛町
の桑野遺跡は、今回紹介する和井田遺跡の
十キロメートル程度南と南西の、山に少し
入った所にあり、弥代後期~古墳時代の
遺跡の多い一帯であるという事である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データペース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
59381_4_一般県道吉富港線・山内吉富線関係
埋蔵文化財調査報告和井田遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
一般県道吉富港線・山内吉富線関係埋蔵文化財調査報告
和井田遺跡・成恒山ノ内遺跡・八ツ並下ノ原遺跡
福岡県文化財調査報告書第251集、
2016年、九州歴史資料館。
 遺物はこのうち最初の、吉富町和井田
遺跡で出土したようである。遺跡は互い
に数キロ程度離れている。2番目の成恒
山ノ内遺跡の方が、以前紹介した築上郡
上毛町郷ケ原遺跡等に近い。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の
場所は、福岡県築上郡吉富町。遺物が出
土したのは、西暦2011年前後の事の
ようである。
 遺物の成立年代は、和井田遺跡の第1
号竪穴住居跡から大量に出土した遺物の
一つで、発掘報告書本文第1pdfの、
「まとめ」の第48ページ付近の記載に
よると、古墳時代初頭から前期前半の、
4世紀前後に竪穴住居跡自体が成立し、
遺物もその頃の、鉢型土器とみられてい
るように読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
17の第4段目左側にあって、スケッチ
図第20の、通し番号第149番との
旨ナンバリングされている。繰り返すと、
鍔の大きな丸い鉢型土器で、全体が羽根
型の、古墳で出土するような形の土器の
ように、私には見える。

和井田奔王.gif

 上図のように、写真の、ほぼ中央に、
大きめでかつ、少し崩して漢字で
”奉王”と書いたような黒い模様が見え
る。ただし、第2字目の「王」は最終画
が擦れているようである。多少字の曖昧
さはあるものの、弥生時代の後半で、し
かもこれより少し早いが、類似の土器が、
近隣の福岡県築上郡桑野遺跡で出土した
例を前に紹介している。現地で4世紀初
には早くも、古墳を作るような豪族が発
生し、その者と一族を王族を崇める渡来
系の識字層が、弥生時代後期にひき続い
て、この地に住んでいた事を示唆する、
遺物例なのではないかと私的に疑う。
(2023/01/28)

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