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栃木県宇都宮市西下谷田遺跡で奈良期奔王墨書土器(長さん)

今回は、ぱっと見に奉王と右から左へ横書き
されているが、よく見ると間に漢字で「都」
と挟まって3字のように見える栃木県宇都宮
市出土の、奈良時代初成立の墨書土器の紹介
である。
 場所が初期官衙とみられている遺跡であり、
奉都王と読める事から、宇都宮という地名が
奈良期に成立していた事を示しているように
も見える。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
71373_1_西下谷田遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
宇都宮市埋蔵文化財調査報告書第57集
西下谷田遺跡-古代編Ⅰ-、
西暦2007年、宇都宮市教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場所
は、栃木県宇都宮市茂原町。遺物が出土した
のは西暦1997年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第95ペー
ジ付近の「おわりに」によると、竪穴住居第
46号より話題とする遺物が出土したが、
竪穴住跡群自体が、7世紀末から8世紀前半
の飛鳥時代から奈良時代初とみられているよ
うに読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版(PL)
第18の下から第2段目の左端に在り、遺物
番号第46竪穴住居跡の第1番との旨、ナン
バリングされている。杯型の土器のように、
私には見える。

西下谷田奔王.gif

 上図のように、中段右と左に右から「奉王」
とよも読めるような漢字の模様が、上部が全
体にカスレ特に奉の夫部分が薄いものの有り、
普通の祭祀用「奉」墨書土器のように見える。
 ところが更によく見ると、

字の間に切れ切れだが、都という字が、割れ
目の右側だが、挟まっている

のに気がつく。官衙の初期の遺跡と考えられ
ており、後には武家の宇都宮氏もしばしば駐
屯して、宇都宮の語源となる、「都」の字が
記載されている地名関連の遺物の疑いも、或
いは有るかもしれないと私見する。(2023/01/17)

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