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愛媛県愛南町平城貝塚で縄文期金奔等墨書石器(長さん)

今回は、愛媛県の縄文時代の貝塚とされる
遺跡から、それぞれ漢字で出金奉、金奉と
書かれているように見える、石器とみられ
ている物品2個出土の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化材研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファィル名は、以下の通りである。
90383_1_愛南町内遺跡2.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
愛南町文化財調査報告書第2輯;平城貝塚総括報告書1、
西暦2021年3月、愛媛県南宇和郡愛南町教育委員会。
なお、集は元pdfでも輯になっている。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場
所は、愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城
2069番地1。発掘報告書冒頭の目次に
よると、ここで話題にする遺物が出土した
のは、以下遺物番号第750番と表現する
遺物が西暦1981年。遺物番号1600
番と表現する遺物が、西暦1995年であ
ると解釈出来るようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第108
ページによると、遺物番号第750番と、
以下に紹介する物品は頁岩の石材で、縄文
時代の石器。それに対して発掘報告書第
222ページによると遺物番号第1600
番と紹介する遺物は砂岩の石材で、同じく
縄文時代の石器と考えられているように、
発掘報告書から読取れる。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
42(PL.42)の第2段目右に遺物番
号第750番の石器が、写真図版第82
(PL.82)の最上段左から2番目に、
遺物番号第1600番の石器が在る。

平城貝塚出金奔.gif

 上図は遺物番号第750番石器で、調理
用等の削器として使用されたものではない
かと報告者見られているように、第108
ページに記載されている物品である。図の
ように、左の面に漢字が複数書かれている
ように見え、上の方の少し大きめの3行の
模様のうち、右から第1字目が「出」、真
ん中の第1字目が「金」、左の第3字目が
「奉」のようにも見える。3行目は「・・
国前奉」のようでもある。

平城貝塚金奔.gif

 それに対して上図は遺物番号第1600
番の石器で、今度は右側の面に中央に薄く
縦に「金奉」と書かれているように見える。
左側に、ひょっとすると「山王奉」と書い
てあるかもしれない。
 発掘報告書を読むと、発掘が行われた当
時は、遺物に整理番号を複数のマーカーで
書いていたケースのようなので、今のとこ
ろ、そのヨゴレの類ではないかと、本ブロ
グではみる。
 近代の荘和鉱山は別として、弥生時代頃
までに金を掘っていたり、僧都川等で砂金
を取っていたとしたら驚きだが。この場所
の鉱物資源が古くから知られていたとすれ
ば、別の解釈が必要だろうと私は考える。
(2023/01/08)

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