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福岡県広川町山の前古墳で6C泰山墨書提瓶(長さん)

今回は、福岡県広川町の古墳跡で古墳期の
土器に奉山と書かれている疑いのある遺物
が、出土しているとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
72502_1_九州縦貫自動車道関係埋蔵文化財調査報告3.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
九州縦貫自動車道関係埋蔵文化財報告Ⅲ
福岡県八女郡広川町所在遺跡群の調査、
1972年、福岡県教育委員会。
 報告されている遺跡は、鈴ケ山古墳・
鈴ケ山遺跡・山の前古墳・平原古墳・
平原遺跡の5箇所で、自動車道に沿い、
離れていて、鈴ケ山、山の前、平原のそれ
ぞれの間で関連し無いとみられる。遺物は
このうち、山の前古墳の第3号墳(墳墓1・
2との場所は、それぞれほぼ接近)で出土
したとの事である。
 遺跡の場所は、発掘報告書第1ページの
「はしがき」によると、福岡県八女郡
広川町大字広川498-1、490-2。
遺物が出土したのは、発掘報告書第75
ページ、山の前古墳編冒頭の、調査の経過
によると西暦1970年前後の事のようで
ある。なお、この文書を作成している時点
(2023年1月)福岡県八女郡広川町は、
当時のままである。
 遺物の成立年代は発掘報告書の第161
ページ付近の小結によると、遺跡全体が、
6世紀後半から7世紀初の、古墳時代後期
に成立したとみられているように読取れる。
 遺物の写真は発掘報告書の末尾写真図版
部の写真図版(PL.)第48の最下段左
に在って、遺物番号はついていないが、
全体に須恵器との付記がある。形から発掘
報告書で提瓶と説明されている物品のひと
つとみられる。

山ノ前古墳泰山.gif

 上図のように、写真の中央に上から下へ
縦に2文字で、奉山と書かれているように
見え、古墳期後期の山岳信仰であろうと見
られる。墨書遺物が余り出土していると発
掘報告書で確認されていない遺跡ではある
が、飛鳥時代に近い為、識字層によって祭
祀を兼ねて、古墳に納める遺物に字が書か
れたとしても、極端に奇妙というほどでは、
無いのではないかと私見している。(2023/01/13)

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