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長崎県松浦市下谷遺跡で馬奔縄文土器(長さん)

今回は、縄文時代の遺跡と紹介された長崎
県の遺跡の土器に「馬奉」と書かれている
が、写真図版とスケッチ図との対応が不明
で、後の時代成立なのかどうか、はっきり
し無い遺物の紹介である。弥生中期成立と
疑われる。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
62570_1_下谷遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
松浦市文化財調責報告書第18集下谷遺跡、
2002年、長崎県松捕市教育委員会。
 発掘報告書末尾の抄録によると遺跡の場
所は、長崎県松浦市御厨町西木場免。遺物
が出土したのは、西暦2000年前後の事
のようである。
 遺物の成立年代は、写真図版とスケッチ
図の遺物との対応が不明であり、スケッチ
図の遺物土器の成立年代に関する説明しか
なく、また、遺物の底面の模様の写真しか
なく、遺物の側面に縄文があるのかどうか
も判らないので、私には判らない。末尾の
抄録によると、縄文時代と中世の複合遺跡
と取れる説明が在るので、どちらかとの意
図かもしれない。以下では弥生時代中期の、
中国の歴史で漢王朝の時代と仮定し論じる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第
16の上から第5段目右から2番目に在り、
ナンバリングは無い。土器の裏面の写真の
ように、私には見える。

下谷馬奔.gif

 上図のように、上部の縁に漢字で「馬」
のように見える黒い模様と、右側中段に、
はっきりしないが「奉」のように見える
模様がある。

大陸から渡来した漢王朝時代の中国人等
が、鉱産資源の捜索をしつつ牧場を作って
馬を飼い、中国の皇帝等に、馬を湊から船
に乗せて送る事により献上していた

可能性が、松浦市付近で弥生時代中期に、
有った形跡のある遺物のように、私見さ
れる。本ブログで過去、複数回紹介した、
九州北部でも見られた土器と、同類では
なかろうか。(2023/01/26)

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