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僧侶系陰陽師の陰陽寮からの圧迫は広瀬秀雄紹介(長さん)

本ブログでは、西暦1014年2月9日の
内裏火災が、1月27日新発見の彗星の上奏
日であり、三条天皇にさほどの関心が無かっ
たとされる事から、特に下層の僧侶系陰陽師
に、三条天皇に対する怨念が渦を巻いていた
状態で起こったのであろうと、既に表現した。
黄金将棋具を含めて、唐物が必要になる原因
である内裏や大内裏の発生要因は、ようする
に放火の疑いが有り、犯人は以上を≪犯行の
動機≫とする下層陰陽師によるものでは無い
かと、疑って見せたという事である。
 更にだいぶん以前の事だったと記憶するが、
安倍晴明以降しばらくの、10世紀から11
世紀にかけて、安倍家・賀茂家が朝廷直属の
陰陽寮の要職を占める動きが継続し、後の暦
の土御門家独占につながったとも述べた。繰
り返せば、言わば野党勢力へ転落した特に、
仏僧宿曜道系の陰陽師が、憤懣を募らせて、
朝廷関連施設に連続放火を行ったと見たと、
いう事である。
 この動きが、11世紀初には特に強かった
事が、とりわけ西暦1014年2月9日の、
1010年代第1次内裏火災や3月12日の、
大内裏の火災が、起こった原因だろうと、本
ブログの管理人は考えたのである。
 所で、劣勢な仏僧系陰陽師と、優勢になっ
た、陰陽寮の天文博士/暦博士間の、11世
紀初め頃の対立に関しては、私は天文学史の
成書のどこかで、実在したとする記載を見た
覚えがあったのだが。最近まで書名・記載箇
所を思い出せなかった。前世紀後半の成書と
みられた為、webで捜索するのも絶望視さ
れた。
 今回、試行錯誤で再度追跡し、

NHKブックス/広瀬秀雄/「日本人の天文観」/
西暦1972年

の第101ページ付近である事を、確認した。
 もともとの仏僧系陰陽道/宿曜師の元祖は、
符天暦を五代十国の呉越国から西暦957年
前後に持ち帰った、天台僧の日延であったと
同書100ページ付近に、記載されている。
天文学者の桃祐行氏が、20世紀半ばに日本
でも符天暦が知られていたとの旨の研究をし、
裏付け史料は桃氏が、九州大宰府で発見した
ものだと、広瀬氏は前記成書に記載している。
 広瀬氏によると西暦1010年宣明暦閏2
月14日の権記に、藤原行成が、「日食予想
を仏系陰陽師が独立に行った事」を記載して
いるとの事である。広瀬氏は「御堂関白記等
の、『日食は当たった』『外れた』等との旨
の記事は、この時代だけの独特な内容だ」と
の旨も前記成書で書いている。本ブログの管
理人の微かな記憶は、ここから来た事は、ほ
ぼ確実である。従来より、陰陽師の仕事が、
安倍家/賀茂家といった特定の集団に取られ
て行けは、そこからアブレタ側に対立関係が
存在したとの説が、20世紀の天文学史界で
存在した事は、この成書の存在がよく示して
いると私は考えるのである。(2023/10/04)

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