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なぜ大将棋の中段袖、猪・牛虎・竜で鼠兎要ら無い(長さん)

二中歴と普通唱導集を組み合わせると、大将棋
の中段には虎龍猪が有る事が判り、十二支の鼠・
兎は戦力不足とは言え、居無くて問題が無い、
何か理由が有りそうである。円形に満遍なく
「陣形」を作るのであれば、鶴翼の構えの如く
に十二支駒は、連続的に存在しないと、将棋駒
配列として不自然で、採用し難いように見える
のだが。少なくとも鎌倉時代の西暦1300年
頃、その不自然感が無かったように見える。
 今回はこの歯抜け陣形の問題について、一考
する。
 結論を先に書けば、

中世前期までの陣形は、大規模軍隊の戦闘が想
定されていても、縦長長方形陣程度の認識

であり、現代では著名な鶴翼の陣など、奇をて
らった陣形など、実戦で使われるとは思われて、
い無かったらしい。
 そのような印象は、以下の成書から持てる。
「戦国の陣形」乃至政彦、講談社現代新書、
西暦2016年。
 その40ページ付近に、白村江の戦の頃日本
で、25人×2隊体制の、弩等を武器として使
用した、長方形型の戦闘集団陣形が存在し、

保元の乱まで、その程度しか無かった(52
ページ)

と取れる記載がある。鎌倉時代まで簡単な陣形
しか、日本人は認識してい無かったようである。
 中国からは、その間、本ブログ管理人には、
恐らく頭数の多い方形陣が輸入されたと、前記
成書には書かれているように認識される。50
人が1000人位に、なった(47ページ)ら
しい。察するに原野での中国の戦闘は、幅32
キロメートル、長さ3.2キロメートル程度に、
10メートル間隔で、100万人位の部隊を
編成し、弩・騎馬・兵が突進して相手を、
ブルトーザー式に押しつぶすというやり方が、
現実だったのであろう。戦闘が進んで、戦団が
横に広がったら、鶴翼の陣と、言った事は有っ
たのかもしれない。
 日本の場合は、進路が狭いので、縦長になり、
かつ、規模は、鎌倉時代に多くて1万人程度を、
想像していただろうとみられる。鎌倉武家は、
軍勢であって、軍隊では無いから、国家間戦争
は、モンゴル帝国軍の来襲まで経験も無く、
将棋の陣形は当時は、想像上のものでしか無かっ
ただったとしか、言いようが無いのであろう。
 方形の陣で攻める事を、牛駒の猛牛と虎駒の
猛虎で示して、鬼門を守る戦いを表現したと
して、牛軍と虎軍は、相手陣に縦長長方形陣で
攻め込むと、

相手陣は潰れて横に回り込んで来るので、横に
押さえに猪軍と龍軍が必要になるという、円で
は無くて、方形感覚だった

のでは無かろうか。
 その為、斜め中間の鼠と兎は、敢えて絶対に、
必要とまで行かないという事では無かろうかと、
この成書の「中世前期の陣」を読んで、私は考
えるようになった。
 前記成書にも、鶴翼陣といった戦形陣形は、
近世の作り物物語と取れる箇所が複数あるよう
に私には認識される。ようするに縦と横しか無
い陣形しか、国家間紛争時の軍勢には無い状態
を、鎌倉時代の武家が、国家の軍隊として想像
したので。大将棋の配置もそのような将棋配置
になったのではないかと、私は前記成書をざっ
と読みして考えるようになった。(2023/10/23)

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