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1129年鳥羽上皇の覆物占いの具体的やり方推定(長さん)

表題の件については、史料長秋記の著作者の
源師時が「唐人の書物に基づき、太宰府から
伝来したやり方が、占いの方法」との旨、そ
の日の条に書かれているという事実が在ると、
広報太宰府 西暦2009年1月1日、
”太宰府の文化財 285”に書かれている。
また”シンガポールのTVドラマ「双天至尊
(1993年)」の、第一話に、シャンチー
駒:「帥・将・仕・士・相・象・俥・車・
人偏馬・馬・炮・砲」と書いた札を、黒い袋
の中に入れ、ついで袋の中に手を入れて、手
探りで一つ選び、それを、小さなケースに入
れて蓋をしその札が何であるかを子が賭ける
というゲームが、前世紀、20世紀末時点で
存在するという情報が在ると、以前本ブログ
で述べた。通説では、普通の五角形12枚を
使用したのではないかと議論される事が、ほ
とんどだが。本ブログの管理人は、何らかの、
そのときだけ使う占い盤に、中国象棋流に、
交点置きで、円筒形のシャンチー駒で、天象
を占うように、鳥羽上皇のその後の治世能力
を占ってしたというのが、実態なのでは無い
と、従来考えている。
 がこれまでは、カードを使うシンガポール
ゲーム(華橋起源?)と、鳥羽上皇の占いと
の、具体的なやり方の違いを、特に議論して
来なかった。今回は実際に鳥羽上皇の御前で、

覆物占いが、どういうやり方で行われたのか
を推定してみる。

 駒はシンガポール賭博とは違い、帥・将は
将、仕・士は仕、俥・車は車、人偏馬・馬は
馬、炮・砲は炮だったが、象だけ相も在り、
仕×2、車×2、馬×2、炮×2、象×2、
相×2の12枚を遣い、将は王と読み替えて、
最初から占い盤に曝して真ん中に置き、金将
の駒の動く所に別の駒が置ける、一例「中」
の中央縦線が上に出てい無い、線の書いた占
い盤を用いて、占ったのかもしれない。なお、
イスラムシャトランジも日本の将棋の銀将も、
その時点で中国人は知っていた訳だから。象
と相が、同じ働きで敵味方で、分けて使うと
いうやり方は、鳥羽上皇の占い駒で、出来た
であろう。元に戻すと、その中央置いた将の
周りに袋(覆い)に入った12枚の駒のうち、
6枚を駒名が見えないように選択して並べて、

並んだ駒配置のパターンで、鳥羽上皇の治世
の今後に関して、吉凶を決めるという内容

だったのではないかと私は考える。なお覆い
物から取り出してしまうと、駒名が曝される
ので、「占い師が駒の角度も問題にする」と
見た、

以前の私の論に関しては、多分間違い

だったと今にしては思う。映画のシーンや、
広報太宰府が無ければ、駒がシャンチーなの
か、日本の五角形将棋駒なのかは、余り良く
判らなかったというのが、実態だろう。
 なお駒を取り出したら、将に対して右上、
右、左、上、下、左上の順番で置くように私
は思う。先に居てほしい駒から並べ、犬猪方
向は、重要度がさぼど無いので最後だろう。
占い方は、上と左上は、能書きは様々だが、
どの駒でも吉。右上は鬼門で仕駒では役不足
で凶。左右は、仏法を無視の酔った象が将つ
まり上皇の両脇に居ては凶。下は民への政治
の恵みという意味の位置であり、やはり酔象
の象が来ては凶。

凶で無い場合は、占い師は「吉」で有るとし
て、たいていは、占ってもらっている上皇や
天皇をオダテるのが常

だったと見られる。これだと凶が来る確率は、
1-(5/6)4乗=
1-(625/1296)≒5割
なので、かなり緩い占いだ。
 源師時の日記の通り、凶箇所が全然無い、
約50%の結果になったのだろう。
 それでも、象が出ると凶になるのが問題視
され、酔象を将棋から排除しようという朝廷
内部での動きは、白河上皇時代から引き続き、
西暦1129年頃にも存在したのであろう。
また2枚組で常に覆い物に入れるので、日本
の平安将棋で、金将駒が2枚であるべきとの
論も、鳥羽上皇の時代には、引き続き存在し
たのであろう。
 つまり、駒は12枚と源師時が書いている
のは、10枚のケースがあるという意味かも
しれないと、私は考える。その場合には象が、
さいしょから無いのかもしれないと、私には
疑われる。(2023/10/19)

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