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青森県八戸市新むつ旅館に明治末将棋駒部屋札(長さん)

今回は、現在も使われている青森県八戸市
の太平洋戦争以前に遊郭であった現在の旅館
に、将棋と娼妓を引っ掛けたとされる、将棋
駒型の部屋番号札が、現在も使用されている
との旨の、以下の成書冒頭写真の紹介である。
鎌倉駅の現在駐輪場付近から、大将棋の定跡
を書いた飾り扇子が、風俗営業店を連想する
遺物と共出土するのも、将棋と娼妓の語音が
近いのと、関連が有る可能性もある。
 成書の表題は以下の通りである。
「遊郭に泊まる」とんぼの本、㈱新潮社、
関根虎洸、西暦2018年。
 写真は、上の成書の第9ページ付近に在り、
西暦2016年前後に撮影されたようである。
 20箇所ほど旅館等で残っている施設が
紹介されているが、写真は第1番目の八戸
市の「新むつ旅館」の7号室を示す現存する
部屋番号札だとみられる。

新むつ旅館部屋.gif

 なお青森県八戸市小中野6-20-18に
旅館は在るとの事である。
 本ブログでは、鎌倉市鎌倉駅前駐輪所から
出土した遺物に、大将棋の指し方の定跡:「
斜め走駒で、仲人を突きぬいて右横行と反車
を排除し、相手陣から見て右端攻め耳破りで、
相手香車と飛車を更に剥がして、端の守りを
無力化してから、麒麟を上げて獅子に成らし
て、相手小駒を喰荒らして勝負をつける」の、
前半部分を書いた、本ブログ推定飾り扇子の
骨1本があり、付近が鎌倉時代に風俗営業店
の敷地内であったろうと推定している。
 将棋は中国の唐代から賭博に使われていた
ので、風俗営業店で記念品の置き物に使う飾
り扇子に、大将棋の指し方のコツを墨書した
物品が有っても不思議は無いとの説明をした。
 が、時代はぐっと下がって、前記成書の第
17ページ付近の記載により、今回紹介した
将棋駒に部屋番号を記載した物品は、明治末
の建築物の備品のようである。が、

将棋と娼妓がカケられたというのも、将棋と
風俗営業施設が関連する理由

の疑いを、持たせる史料という事にはなるよ
うだ。鎌倉時代にも、「娼妓」という熟語自
体は、存在皆無では無いだろうが。120年
と720年とでは6倍も違うので、残念なが
ら、決定打では無い。それが理由で元の風俗
営業店からは将棋関連史料が出土する例が有
りえるという、可能性を示したに留まるだろ
うと、思われるという事である。(2023/11/06)

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