SSブログ

和将棋の登猿、言葉自体江戸草創期宮崎県で発生(長さん)

和将棋に登猿という名称の駒が有る。
移動方法のルールは幾つか有るようだが、
世界の将棋、梅林勲・岡野伸、将棋天国社、
2000によると、「銅将」の動きという
事である。
 個人的に従前より、神社の縁日のみやげ
物の小型の猿の置物が、竹ひごにくっ付い
ていて、木登りのように竹ひごに登る置物
を連想していたが将棋駒名にした経緯を私
は知らなかった。
 最近以下の成書に、江戸草創期の宮崎県
延岡市の城主有馬直純の、昇り旗の猿印だ
という情報が有るのに、私も気がついた。
 「全国厄除け郷土玩具」、中村浩訳、
誠文堂新光社、2020年。
 上の成書の第62ページ付近に、問題の
縁起物郷土玩具の写真と共に前記で述べた、
「云われの説明」が載っている。なお、
売られている「昇り猿」とは、以下のよう
な小型の、全体が棒1本位の長さ/大きさ
の物品に見えるものである。ただし、成書
文面によると、かなりの大型もあるらしい。

昇り猿.gif

上図のように、風で旗がなびくと、引っ張
られて、猿の置物が棒をつたって昇る構造
に、なっている。「宮崎県延岡市の昇り猿」
となっており、登猿とは字が違うが、同一
概念であろうと私は思う。
 東京都葛飾区の柴又帝釈天に、竹で弾く
と猿が、竹ひごを登る「弾き猿」とも、私
がウル覚えで記憶する名称で「登り猿」と
聴いたような、同じく縁起物の玩具が、昭
和の頃には少なくとも存在する。柴又のも、
この宮崎県延岡市の城主有馬直純の旗の
「猿」が、旗を抜け出して旗竿を登る形に
玩具化した物品が、起源だという説明が、
前記成書の第82ページ付近に有るようだ。
 和将棋の成立が江戸の元禄時代だとすれ
ば、宮崎県の城主の旗印の猿や、延岡市の
「昇り猿」の郷土玩具は、ほぼ全国に話が、
数十年位有り、行き渡っていた頃であろう。
だから和将棋が本ブログの推定するように、
九州では無くて関西起源であると言う論を、
完全に否定できるような、和将棋の発生地
を特定する情報は、残念ながら無いのでは
ないかと管理人は疑っている。
 将棋駒の登猿が、縁起物の玩具の名称が
起源だという事が、玩具に付いている旗や、
延岡城主の猿の旗印の話で、ほぼ確定的に
なったと言えるという事なのであろう。
(2023/11/19)

nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー