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なぜ将棋・象棋には囲碁のように異称が余り無い(長さん)

囲碁史の成書を適宜開いて見ると、最初の
方で”囲碁には古来より東アジアで愛好さ
れ、いろいろな異称が存在する”との旨書
いてある(たとえば、石井妙子”囲碁の力”
洋泉社、西暦2002年)。しかしながら、
中国シャンチーを象棋ではなくて”象奕”
と多少変形して呼んでいる例が幸田露伴の、
将棋雑考の、中国象棋の項目に出ているが、
将棋と完全に違う呼び名は、余り紹介され
ている例が無い。今回は、これがなぜなの
かを、論題とする。回答から書く。

中国シャンチーの主要な着手が中産階級
以下であって、知識人がレアーだったため、
文壇等で、別称が生まれ難かったからだ

と考えられる。では、説明を開始する。
 まず、囲碁の別称だが、先に挙げた成書
では、”爛柯””橘中の楽””忘憂清楽”
”坐隠””手談”の5つを挙げているよう
だ。
 しかしながら結局の所、私が見る限り、

囲碁の別称と言うものも中国からの輸入品

であるように、私には認識される。だから、
もしそうだとすると、元々中国に、中国
シャンチーの別称を作るような空気がない
とすると、日本にもそれは無いと見て良い
のではなかろうか。中世まで日本人には、
他の日本人よりも、中国の知識人の用語の
方が権威が有ったと見てよいのではないか。
だから、中国から”熟語”が来なければ、
日本発で、ゲームの愛称を誰かが作ると、
皆がそれを真似るという、空気が無かった
のではないかと、私には疑われる。
 囲碁は、中国の絵描きも題材にしたほど、
いわゆる知識人階級に浸透していたと考え
られる。しかしながら、中国シャンチーの
中国での中世の指手は、大半が”シャンチー
だけは強い博師”のイメージが、囲碁に比
べて強かったのではないか。そもそも、囲
碁に関連して天文とのつながりは、表わさ
れたものの、囲碁ほどには天文道に関連付
けて保護される遊戯ではなかったはずであ
る。中国ではシャンチーの棋士は、囲碁の
それとは異なり、大半は賭けの儲けで身を
立てていたのではないのだろうか。
 そのため、中国シャンチーには強いが、
文壇にも食い込んで、シャンチーの愛称を、
後に残すほどの人物は、囲碁に比べると、
中国では少なかったのであろう。
 囲碁にしても将棋にしても、日本人が
国内で異称を作っても、権威は無いので、
当の日本では残らなかった。囲碁に愛称が
複数有るのは、中国の文壇で巾の利く著名
人が囲碁も打って、かつ、愛称も残したか
らなのであろう。
 日本では、藤原定家が将棋も指す等、知
識人の間にも、元々大将棋の浸透もあって
ゲーム自体は広まり、”将碁”が、中国か
らの熟語と私には疑われる、色葉字類抄で
見られる”象戯”よりも、むしろ成立が、
早いかった。すなわち西暦1100年以前
の、新猿楽記では”将碁”であった。しか
し一例だが、大江匡房が”将棊”と表現し
たら、それ以外の名前が広がるほどには、
日本人の知識層に対する、日本人の権威も
無かったのであろう。そのため、中国から
来なければ、囲碁と異なり、ケームの別称
は、将棋では特には、残らなかったのであ
ろう。
 よって冒頭のように、囲碁と異なり将棋
に明確な愛称が存在しないのは、中国での
象棋の、中世中国の宋~清王朝期には、中
国シャンチーの指手の階層が、日本の古代
末の将棋とは少し異なり、貴族や僧侶では
なかった。つまり、より一般庶民が親しむ
遊戯であったという事を、恐らく反映して
いるのではないかと、私は思っているので
ある。(2020/03/21)

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