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興福寺出土将棋駒金将成の正当性は何(長さん)

webの画像を根拠として、本ブログでは、
興福寺で2010年代に出土した、西暦
1098年物酔象将棋駒は、金将成りでは
と疑っている。公開された画像は、ひいき目
に見て、裏側に薄っすら金将の字が、浮かび
上がっているとの意味である。
 以前議論した際、その「史料解釈」が
正しいと仮定し動物としての象の成りをなぜ
金将にしたのかに関して、深い考察は加え
無かった。ゲームの出来に関する考察を加え
ただけであったと記憶する。
 今回は、動物の象でも金に成って良い理由
について、再度考える。

象は動物の象では無く「様相」の意味であり、
「猛々しい様子(の人間)」と解釈

したからである。
 今にして思えば、シャンチーが象棋と表現
される理由を、本ブログの管理人は、より
真面目に考えてみるべきだったと反省される。

象はもともとの意味は、動物の象だが「様相」
の意味の「ゾウ」という音を借りているに、
すぎないというのが、漢字の意味理解の定跡

だ。角川書店「漢字の語源」、山田勝美、
西暦1976年には、「象」も「像」も載っ
ていて、当然だったかもしれ無いが、上記の
ように解釈出来るような解説が載っている。
 酔像が「猛々しい様子」の意味になるのは
当然として、酔象も、仏陀の命を狙った動物
なのかもしれないが、「猛々しい様子」とか、
「戦乱の世の中」いうような意味であり同義
であるように、取れるという事である。
 興福寺では、当然上のように解釈して、酔
象を金将成にしても、おかしくはないし、
酔象が横行や、飲酒を連想して悪行の類なの
で、悪行と類似概念とされ、ときに平安大将
棋のパターンで、玉将の前升目に配置されて
も、さほどの不自然さは、無いのであろう。
 前田藩蔵の色葉字類抄の大将棋の挿し紙に、
「酔」とだけ載っていて、「酔象」では無い
のも、

酔と酔(音借りの)象は、「猛々しい」で
同義だという、「象という字の書きにくさ」
が確かにあったのであろう。

 大阪電気通信大学の、高見友幸先生の言う
とおり、色葉字類抄の大将棋挿し紙の「酔」
は、挿し紙自体の古さというよりは、「象」
という字の存在する価値、書くだけの価値が
有るのかという、意義の曖昧さが原因の、単
なる書きにくさ、だけだったのかもしれない。
 繰り返すが酔象は、酔っ払った動物の象と
いう意味にもなるし、酔った様子という意味
にもなったので、仏教の戒律に触れる飲酒と
いうひっかけで、鎌倉市横小路遺跡周辺では、
かつて鎌倉時代に、横行、酔象、悪行を、
玉将前升目の、同じ位置にとっかえひっかえ
置いたという、だけの事と結論されると私は、
ここに来てようやく悟った。(2023/10/21)

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将棋伝来時将棋にどんな字が充てられた(長さん)

象戯という字は別として、将棋の「ショウ」
に将が充てられている場合、棋にはその旧
字体の下木の其:「棊」では無くて、「基」
や「碁」が充てられる等史料は様々である。
では将棋の伝来時、仲介したと推定される、
交易船団の中国人等は、日本に伝来させた、
いわゆる、今に繋がる日本の将棋を、どう
漢字で書いて紹介したのであろうか。
 回答から書けば、

恐らく「将其」と書いて「しょうぎ」と
読んでいた疑いが濃い

ように、私は思う。
 ただし、残っている史料で最も初期の、
新猿楽記で藤原明衡は「将基」に近い字を
書いていると、私は認識している。従って、
伝来時に「将基」と表現されてい無かった
と、完全に言い切るのは無理だとは思う。
 またイスラムシャトランジを象棋と訳し
ていたのは確実な、北宋王朝の中国人が、
日本に伝来させる将棋も、「象棋」と書い
ていた可能性は、ほぼ無いのではないかと
思う。北周の武天王作の象経のゲームが、
イスラムシャトランジの源だと思って象棋
と訳したであろうが。囲碁のように交点置
きし無い、しかも、雲南等周辺国の遊びが、
中国皇帝の天象占いに、肩を並べるとは思っ
てい無かったので、将棋状日本ゲームの棋
に、占い兼用の将棋盤付きを表す「木」を、
付ける気は、到底無かったのではないかと
私は思うからである。私見を蛇足すると、
将棋伝来時、日本の天皇は三条であり、最
初の将棋は、たまたま「敦成親王向け」だっ
たのではないかと、私は疑う。
 特に伝来者は誰でも、日本用の将棋の
ルールを説明するときには、将駒が3種類
あって、「将」のゲームであると説明する
であろうから。将棋の将は、紛らわしいの
で「象」には、し無かったであろう。お遊
び半分に、

「其の将ゲーム」・「将々ゲーム」の意味
で、「将其」と書いた

り、駒がどっしりとしていて、比較的スワ
リが安定で、倒れない形であったので、
1基・2基と数えるような将棋駒のイメー
ジで将基と書いたりして、かなり曖昧だっ
たのではないか。そのせいで、後に日本に
入っても、日本の将棋は、将棋の棋の下木
旧字の異字「棊」では無くて、将基と書か
れたり、将碁と書かれたり、いろいろになっ
てしまったのではないかと、私は、疑って
いるのである。(2023/10/20)

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1129年鳥羽上皇の覆物占いの具体的やり方推定(長さん)

表題の件については、史料長秋記の著作者の
源師時が「唐人の書物に基づき、太宰府から
伝来したやり方が、占いの方法」との旨、そ
の日の条に書かれているという事実が在ると、
広報太宰府 西暦2009年1月1日、
”太宰府の文化財 285”に書かれている。
また”シンガポールのTVドラマ「双天至尊
(1993年)」の、第一話に、シャンチー
駒:「帥・将・仕・士・相・象・俥・車・
人偏馬・馬・炮・砲」と書いた札を、黒い袋
の中に入れ、ついで袋の中に手を入れて、手
探りで一つ選び、それを、小さなケースに入
れて蓋をしその札が何であるかを子が賭ける
というゲームが、前世紀、20世紀末時点で
存在するという情報が在ると、以前本ブログ
で述べた。通説では、普通の五角形12枚を
使用したのではないかと議論される事が、ほ
とんどだが。本ブログの管理人は、何らかの、
そのときだけ使う占い盤に、中国象棋流に、
交点置きで、円筒形のシャンチー駒で、天象
を占うように、鳥羽上皇のその後の治世能力
を占ってしたというのが、実態なのでは無い
と、従来考えている。
 がこれまでは、カードを使うシンガポール
ゲーム(華橋起源?)と、鳥羽上皇の占いと
の、具体的なやり方の違いを、特に議論して
来なかった。今回は実際に鳥羽上皇の御前で、

覆物占いが、どういうやり方で行われたのか
を推定してみる。

 駒はシンガポール賭博とは違い、帥・将は
将、仕・士は仕、俥・車は車、人偏馬・馬は
馬、炮・砲は炮だったが、象だけ相も在り、
仕×2、車×2、馬×2、炮×2、象×2、
相×2の12枚を遣い、将は王と読み替えて、
最初から占い盤に曝して真ん中に置き、金将
の駒の動く所に別の駒が置ける、一例「中」
の中央縦線が上に出てい無い、線の書いた占
い盤を用いて、占ったのかもしれない。なお、
イスラムシャトランジも日本の将棋の銀将も、
その時点で中国人は知っていた訳だから。象
と相が、同じ働きで敵味方で、分けて使うと
いうやり方は、鳥羽上皇の占い駒で、出来た
であろう。元に戻すと、その中央置いた将の
周りに袋(覆い)に入った12枚の駒のうち、
6枚を駒名が見えないように選択して並べて、

並んだ駒配置のパターンで、鳥羽上皇の治世
の今後に関して、吉凶を決めるという内容

だったのではないかと私は考える。なお覆い
物から取り出してしまうと、駒名が曝される
ので、「占い師が駒の角度も問題にする」と
見た、

以前の私の論に関しては、多分間違い

だったと今にしては思う。映画のシーンや、
広報太宰府が無ければ、駒がシャンチーなの
か、日本の五角形将棋駒なのかは、余り良く
判らなかったというのが、実態だろう。
 なお駒を取り出したら、将に対して右上、
右、左、上、下、左上の順番で置くように私
は思う。先に居てほしい駒から並べ、犬猪方
向は、重要度がさぼど無いので最後だろう。
占い方は、上と左上は、能書きは様々だが、
どの駒でも吉。右上は鬼門で仕駒では役不足
で凶。左右は、仏法を無視の酔った象が将つ
まり上皇の両脇に居ては凶。下は民への政治
の恵みという意味の位置であり、やはり酔象
の象が来ては凶。

凶で無い場合は、占い師は「吉」で有るとし
て、たいていは、占ってもらっている上皇や
天皇をオダテるのが常

だったと見られる。これだと凶が来る確率は、
1-(5/6)4乗=
1-(625/1296)≒5割
なので、かなり緩い占いだ。
 源師時の日記の通り、凶箇所が全然無い、
約50%の結果になったのだろう。
 それでも、象が出ると凶になるのが問題視
され、酔象を将棋から排除しようという朝廷
内部での動きは、白河上皇時代から引き続き、
西暦1129年頃にも存在したのであろう。
また2枚組で常に覆い物に入れるので、日本
の平安将棋で、金将駒が2枚であるべきとの
論も、鳥羽上皇の時代には、引き続き存在し
たのであろう。
 つまり、駒は12枚と源師時が書いている
のは、10枚のケースがあるという意味かも
しれないと、私は考える。その場合には象が、
さいしょから無いのかもしれないと、私には
疑われる。(2023/10/19)

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1019年11月藤原隆家権帥辞表表明(長さん)

藤原隆家は大宰府権帥として西暦1019年に
刀伊の入寇の侵略を追い払い、翌1020年に
帰還して、藤原行成と交代している。藤原実資
の小右記には、大宰府解として藤原隆家が刀伊
の入寇の様子を、京都に詳しく連絡している様
子が書かれているようである。
 権帥への着任が、眼病の治療であり自発的で
あるというのが通説であるが、上の表題のよう
に交代も希望してである事が、小右記から判る。
 実際には「除目」と表現される、貴族の役職
の交代は、西暦1019年宣命暦12月21日
に前後に発表されたようである。
 辞任希望表明の理由は1019年6月29日
より少し以前に、藤原隆家が京都へ、
「刀伊の入寇勲功者注文」を連絡しているのに、
同日、勲功そのものをするかどうかでモメたか
らであろう。形式的にしても「京都の名代」の
隆家の顔は現地でまるツブれだったとみられる。
 藤原隆家にしてみれば、「藤原道長に近く、
名代そのものであるように、見るからに見える
一例藤原行成と、とっとと交代させてくれ」と
いったところであろうか。この希望は「どのみ
ち1020年年初に、役職交代は有るので無駄」
という理由で却下されたと、同西暦1019年
宣明暦11月23日の小右記には書かれている
ようだ。
 この事から、藤原隆家が仮に、西暦1015
年のユリウス暦の年初に、後一条天皇に周文裔
等から購入した、軍事参謀訓練用と解釈できる
大理国将棋盤駒等を本当に渡しているとすれば、
それが”反撃要因”になる事は明らかなように、

本ブログの管理人には思える。

 「天皇といっしょの道具を使って作戦を練り、
刀伊の入寇を見事追い払った」という”空気”
を世情して作り、実質「作戦は、後一条天皇の
指令だったとしても同一になる」という論理を
広めるという手法の、”反撃の手筋”が発生す
るとみられるからである。
 従って、いわゆる日本の将棋が1015年ユ
リウス暦年初に、予め日本に上陸していたとす
ればという前提のもとだが。刀伊の入寇は、

将棋の流行を、今述べたメカニズムでもたらす
少なくとも一因になる

ように、やはり本ブログの管理人には疑われる。
 「刀伊の入寇が余りに突然だったので、事の
『前半』に関しては後一条天皇の軍事采配を、
自分(藤原隆家)が代わってした」という
ストーリーの話にするのに、天皇と自分とで、

同じゲームで、参謀としての訓練をしていると
アピールする事が有効

であって、逆に全く無駄と言い切るには無理が
あると、私には思えるからである。
 そもそも藤原実資は、後一条天皇の言葉に関
しては三条天皇と違い、余り日記に書いて、い
無いように、本ブログの管理人には、現代語訳
小右記の一読程度から認識される。が藤原隆家
に関しては、藤原実資とは異なり、後一条天皇
と距離を置こうとしていたという話も、管理人
は余り聞かない。
 ので藤原隆家が転送する「天皇の言葉」は、
三条天皇並みに、後一条天皇に関しても、ある
程度は有って、おかしくは無いように、私には
思える。

辞表を堂々と京都に叩きつけるというからには、
論争に関して、藤原隆家には何か勝算が有った

からなのであろう。
 よって「藤原隆家は、刀伊の入寇勲功者注文
に対する京都の対応に、腹を立てていた」と仮
定する説の例示としてはポジティブとみられる、
11月10日~23日前後の辞表要求の事実は、
将棋具を北宋交易商人の、一例周文裔が西暦
1015年年初のタイミングで、博多からは
藤原隆家の運搬で、京都に届くようにもたらし
ているという仮説と、少なくとも大きくは矛盾
して、い無い史実のように、依然として私には
理解される。(2023/10/18)

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周文裔1020年来訪は後一条天皇の徳化を慶んで(長さん)

 以前本ブログでは、東洋大学の森公章氏の
「朱仁聰と周文裔・周良史 :来日宋商人の様態
と藤原道長の対外政策」(2014年)を紹介
し、西暦1012年前後に続いて北宋貿易商人
の周文裔が、刀伊の入寇直後の西暦1020年
にも博多に来訪しているという史実を指摘した。
 最近、藤原実資の日記に関する成書:
倉本一宏編「現代語訳小右記」10(2020)、
吉川弘文館に、対応するとみられる記事が有る
のに、私も気がついた。
 西暦1020年相当の宣明暦9月14日の、
秋の頃に、日本に恐らく周文裔が来日との事の
日記内容が記載されているようである。
 日記によると、前後に後一条天皇が、体調を
崩したとの旨の記事が続いており、ざっと読む
と、何者かの情報により、表題のように周文裔
が、天皇の見舞いを兼て、刀伊の入寇の後始末
の為の物品を売りに来ているようでもあり、そ
の為規定よりも、頻度のすぎる来日が、京都の
公家の間で問題になっているように、私には読
取れる。
 御殿で、当時右大臣の藤原公季が、交易商人
の来日は、「後一条天皇の徳化を感じた為」と、
公家の前で公表したという事らしい。個人的に
は、「刀伊の入寇は、成長して能力を持つよう
になった後一条天皇の作戦指示で追い払われた」
と周文裔は言いたいのだろうと、私には取れる。
繰り返すが、疲労して体調を崩された御様子だ
というのも、何者からか、周文裔と見られる
交易商人に情報が伝送されているようでもある。

持参した交易品は様々なのだろうが。後一条
天皇に以前送った事の有る物品に関連した物品
が、何か含まれている

ようでも有りそうだ。経帙牌を例えば数百枚持っ
てきたと、本ブログで既に述べたが。小右記の
記載はその来訪が過剰に頻繁な「交易商人」が、
理由を、後一条天皇に絡めていることから見て、
またしても将棋道具も持ってきたとする、本ブ
ログの論を、少なくとも完全否定する内容では
無さそうであると考える。
 振り返って見れば、西暦1019年宣明暦の
4月13日前後の、対刀伊軍に対する、大宰府
の反撃は、大理国将棋で、参謀としての腕を磨
いて徳化を得た、後一条天皇の采配で行われた
という「空気」を作り出した方が、大宰府や、
博多の現場と交易を、西暦1020年以降も
スムーズにしたい、その「交易商人」にとって
は有利なように私には思える。仮に寄せ集めで
も、現地の平安武者は「官軍」にただちに昇格
するからだ。
 天皇がそうだから普段から現場も、将棋を指
すという同じ手法で、参謀としての能力を磨い
て、刀伊の入寇を克服したというストーリーに
したいので。その時点で上陸していた原始的な
平安小将棋が、更に広まるような活動を交易商
人が西暦1020年9月前後時点で付加しても、
少なくとも不自然な話で無い。以上のように私
は、この成書のこの記載を読み、依然として疑
うようになっている。(2023/10/17)

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隣升遮蔽駒視半径42°問題隣は44.5°化(長さん)

既に述べたように、本ブログで定義した
理想正方形盤での単位升目距離1で42°
に見える「途中駒」は、45°から、3°、
暗算を楽にするため引いて42°に「ほ
ど良い」と考えて安直にしたやり方では、
18.85°以内で、傾いてはいるもの
のその傾きが、カドが完全に重なるほど
角道から差が有るわけでも無い駒並びを、
超奔王が突き抜けてしまい、ルールが見
るからに複雑化するという問題が有った。
 そこで、今回はその解決策を検討した。
結果、1の1遮蔽駒の距離に関して、
”1の0ないし0の1”遮蔽駒基準の、
超奔王駒中心からの距離が、本当は
arcCosecで挙動するのに、逆数
計算で近似していることから来る誤差分、
すなわち、
近似式12(%)/√2の2乗=6%
で計算される6%を、最初から

「1の0」駒距離と「0の1」駒距離の
途中の駒の視半径計算にだけ逆上乗せし、
42/(1-0.06)=44.68で
あるから、更にこれより、少し小さい、
44.5°が正しい駒角度とする。

 ただし1の1を含めてそれ以上遠い
「途中の駒」の視半径は、相変わらず
42°の距離逆数で、近似し続けるとし、
この新しいルールで、矛盾が起こらない
ようにするという方法を、チェックした。
 このとき、三角関数Sin表より、
44.5°に見える「途中の駒」の遮蔽
半径は、同様に盤升目を基準にして約
0.7009093。
 また√2/2=0.7071067で、
盤升目の中心点から角距離に関して、盤
は作られている。そこで今度は、接触点
中心から見て、遮蔽駒は
90-arcCos(0.7009093/0.7071067)
=90-arcCos(0.9912355)
=90-7.60°の視半径に見える。
つまり今度は7.6°位、90°から足
り無いだけだ。
 これだと7の6と8の5の駒が8の6
の駒を隠すケースが8.5°ハズレで、
突き抜けられなくなる。
 また、3の3と2の4で、3の4を隠
すケースが10°で、突き抜けられなく
なる。
 それに対して4の4と3の5の駒で、
4の5の駒を隠すケースが7.5で微か
に突き通す。
 以上の3ケースを、まとめると以下の
ようになる。
 すなわち4を含めてそれ以上の場合で、
nのn駒とn-1のn+1駒が、
nのn+1駒を隠す場合を例外として、
このルールの手直しで、超奔王の角道近
い突き抜けのケースは、9×9升目将棋
では、起こら無くなる。以上のように、
今のところ、私には思えるのである。

たとえば8の6と7の7で7の8を隠す、
つまり相手の角行と9七位置の歩兵が居
ても、味方の左香車位置に置いた超奔王
から相手の左米長玉は突き通せるという、
例外の類だけが、残る程度になる

ように、今のところ見えるという意味で
ある。
 4の4という位置は、9九角升目から
見た5五の天王山の位置であって、比較
的分かり易い方だろうから。日本将棋状
のゲームに、どんな角度でも走りであれ
ば合法であるという超奔王ルールは、こ
の程度の複雑さにしておくしか、いまの
ところ、どうしようもないように、私に
は思えた状況である。(2023/10/16)

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超奔王距離1升目駒42°遮蔽ルールは「抜け穴」だらけ(長さん)

今回は今まで本ブログで説明してきた、
1升目前方駒半径(45-3=)42°遮蔽
アナロク方向走り超奔王ルールには、困った
問題が有るのに気がついたという報告をする。

3の2、5の3、7の4位置より、角道方向
に近い2駒を、それぞれ2の2と3の1、
4の3と5の2、6の4と7の3の位置に置
いても、この2枚組の駒の将棋角道型の隙間
を通して遠い前記の3つの駒が、それぞれ取
れるという、ルールの複雑化が生じてしまう

のである。
 厳密に説明するため、以下は三角関数の数
表に準じて説明する。
 以前に述べたように、1升目離れた「手前
駒」が超奔王駒の中心に対して、正方形升目
へ射影変換して、円として計算した場合、
距離は1で各駒の半径は0.6691306
(三角関数Sin表等による。)、
遮蔽駒中心から、接触点の角度は、超奔王駒
に対して48°、接触点中心との角度は、升
目の切り方から45°であり、遮蔽駒中心と
接触点中心との距離は、やはり升目の切り方
から√2/2=0.7071067で、
升目が作られている。
 なお蛇足だが接触点と、超本王駒中心との
距離は、0.7431448程度、最初に
述べた仮定から、方向は遮蔽駒中心から見て、
きっちり42°である。ごちゃごちゃしたが。
 だから、接触点中心から見ると遮蔽駒は、
90-arcCos(0.6691306/0.7071067)
=90-arcCos(0.9462936)
=90-18.85°。つまり18.85°
も90°からは足りない角度で見える。つま
り、視直径は180°近く、視半径は90°
に近づくものの後者は90°から18.85°
足りない。そこで今度は視点を変えて奔王駒
から見ると、「途中の2駒」のボディに突入
し無い、残りの”18.85°”という、扇
の範囲に超奔王駒を置いて、そこから見れば、
超奔王駒を最適角度としては45°ではある
ものの、45°のプラスマイナス18.85°、
つまり37.7°の扇で、遮蔽中心点向こう
が見える事になるのである。その為変形角道
型並びで見える並び駒列の、

向こう側の駒を、超奔王は突き抜けてしまう

のである。しかし許容18.85°とは

いかにも判定が複雑になる、大きな角度だ。

 前回までは45°しか突き抜けないとした。
これは、8の6駒の位置の駒の角度を37°、
7の7の位置の駒の角度を45°として差が
8°。8の6駒の半径がピタゴラスの5の2
倍で、4.2°。7の7の駒の半径が
30/7=約4.3°で合計8.5°と実は、
arcCoSecを逆比例とする近似計算で、
10%位大きく見積もるので。8より大きく
なって、8の7の「米長玉駒」は、自陣0の
0の左香車位置からは透けて見えないとして、
誤魔化していた為、条件が更に悪くなれば、
「以下同文」であり、それで良い事にして、
しまっただけなのである。さてこれは困った
ものだ。どうするべきか。本ブログの管理人
はここで、一旦作業の区切りを入れた。
(2023/10/15)

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奔将棋超奔王ルール将棋駒排除円隠される側計算なし(長さん)

既に述べたように、本ブログの管理人が考
案した、気体の衝突理論風の、任意角度走
り超奔王駒の合否判断は、座標計算をして、
ターゲット駒の手前に見える駒がいわゆる
走り駒ルールの「途中駒」なのかどうかを、
判断する必要がある。
 前回までの説明だと、途中駒の排除円
視半径と、ターゲット駒の排除円視半径を、
両方計算して、ターゲット駒の排除円が、
移動前の超奔王から、どんなにわずかでも、
とにかく見えているかどうかを、判断し無
ければならないような説明をした。だが、
途中駒とターゲット駒の距離比が判れば、
視半径は、反比例すると計算する事になっ
ていたから、

ターゲット駒の視半径の計算は不要

だ。しかも、距離比は、厳密ではなくて、

近似的に求まれば良い場合が大方

とみられる。
 つまり、

途中駒とターゲット駒の方位角差と途中駒
の排除円視半径の比で1を引き、その逆数
よりターゲット駒/途中駒距離比が小さい
と、超奔王の利いている相手駒になる

だけである。この計算にターゲット駒の視
半径は要らない。
 更に、日本将棋は9×9升目であり、
6×6以上離れた升目の途中駒は、視直径
が小さい為、それより遠方の駒は、角度が
0°、45°、90°でかつ、同じ方向の
ターゲット駒しか、重なって協力し無い
限り、単独では隠さないとみられる。
 よって、5×5駒までの視半径を暗記
すれば、たぶん大体は大丈夫だろう。
既に、
√5離れた
2の1升目では、反比例で近似したとき、
18.782971°(イワナは肉無い)、
√13離れた3の2升目では、
11.64870°(いい虫は慣れ)
だと説明した。
2√5の4の2升目では9.39°前後だ。
 次に、
√10離れた3の1升目では、
3の0升目より0.72小さい13.28°
√17離れた4の1升目では、
4の0升目より0.32小さい10.18°
√26離れた5の1升目では、
5の0升目より0.16小さい8.24°
で、合わせて「渚に色」。特に後2者は、
差がほぼ比例。
 ちなみに気になるなら、
√37離れた6の1升目では、
6の0升目より0.1°小さい6.9°も
比較的覚え易い。
 次に√41離れた5の4升目では、
約6.66°。
√29離れた5の2升目では、
約7.8°。
合わせて「ムムム名は?」
で覚え易い。
最後に√34離れた5の3升目だが、
7.20294(大阪(ナニワ)憎し)と
なる。
 少なくとも、これで5の5までは、皆だ
と思われる。方位角は一松信本から、
arctan1/2まで55×(正接値)、
1/2~1まで40×(正接値)+7で
出す事にしていたから、差は比較的容易に
出るだろう。残り「角行走り駒絡みルール」
に気をつければ、頭の中で超奔王の着手の
合否判断をつけるのは、極端に困難とまで
は行かないように、私には疑われる。
(2023/10/14)

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1升目離れ駒視半径45°未満視超奔王は角道駒常当る(長さん)

既に本ブログで述べた通り、八方走りの
チェスの女王駒よりもっと強い、無数方向
走りの超奔王という駒を取り入れた、変形
日本将棋は、一風変わっていて面白いゲー
ムとなる。そこで今回も、気体の分子運動
を取り入れた、厳密アナログ走りの超奔王
駒のルールを決定するというカテゴリーの
話の続きを以下にする。
 既に正方形升目に射影変換して、1升目
離れた駒が42°の円形に見えるルールで、
方向アナログの直線走り駒「超奔王」の、
「途中に他の駒が有る場合は、それ以遠に
走れない」の「途中の他の駒」を厳格に定
義する議論をしてきた。
 例えば、2の2の位置離れた升目に、他
の駒が居るとき、4の3の升目の駒にとっ
て、2の2の駒は、排除円を完全に隠して、
超奔王の駒の「途中に有る駒」に、なるの
かならないのかという話題が一例である。
この場合は、途中駒になら無い。
 煩雑な例は他にも有り、排除円の計算が、
逆余割(アークコサイン)で正確に計算し
無いと、角道が通らないという話もした。
 今回は、nのn+1(n≧0)の升目に
駒が有るときmのm+1(m>n)の駒の、

45°付近の角の排除円の縁は、見える
ルールにするべき

という指摘を以下にする。
 理由は、1升目離れた所にある駒の排除
円の角度を、厳密に45°にし無いで、
3°減らして42°にしているからである。
 実際に超奔王の有る将棋を指していて、
この問題に、本ブログの管理人は初めて気
がついた。
 特に、n=0、m=1の場合は、跳びで
は無くて、

横回り込み桂馬走りで、超奔王は相手駒が
取れるのか

という問題だと表現出来る。このケースは、
実際には、しばしば現れる。繰り返すが、
単位升目離れた所の排除角を42<45°
としている以上、隙間は、遠く離れるほど
開いて行くのであり、極小さい角度だが、

その手前にnのn+1(n≧0)の升目の
駒が幾つ有っても、全部超奔王から見える

というルールにし無いと、おかしいと私は
思う。
 この話は、nのn+1(n≧0)の升目
とn+1のn(n≧0)の升目に駒が有っ
ても、mのm(m>n)の升目の中央駒が
超奔王から、見えるのかという、角道問題
とは、別の問題である。

実際、角行はこうしたケースは、相手駒が
取れ無い。

こうしてみると、本ブログで定義した
超奔王駒が、いかに強い駒であるかが、
まざまざと、判るのではないかと私は疑う。
 最後に話は脱線するが。
 射影変換後の正方形単位升目で見込み
半径42°で見える駒は、√5離れた
2の1升目では、反比例で近似したとき、
18.782971°(イワナは肉無い)、
√13離れた3の2升目では、
11.64870°(いい虫は慣れ)程度
に見えているという事にどうもなるらしい。
(2023/10/13)

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極弱行馬猛豹位置入46枚奔将棋の結果(長さん)

既に述べたように、酔象と猛豹入りの江戸早期
46枚制将棋の左桂馬、飛車、角行、酔象、猛豹
を、驢馬、奔車(=反車)、奔石、超奔王、行馬
(=大局行鳥)に取り換えた将棋は、行馬が強す
ぎのディフェンス(守り)過剰である。そこで、
行馬を、前に跳べる酔象から前に跳べる悪狼の
動きに直して、今回テストし直した。
 前回の囲いのでき上がりまでは、同一である。

奔将棋驢馬行馬指掛共通.gif

 ここから、テストすると、途中一例

奔将棋驢馬弱行馬指掛1.gif

を経由し、更に

奔将棋驢馬弱行馬指掛2.gif

と先手王が危険地帯から逃げ切ったので、多少
有利かなと思いきや、突如として急展開し、

奔将棋驢馬弱行馬指終.gif

上のように、後手玉がいっきに詰んだ。
 なかなか進まないと思いきや、やや進んだか
なという局面で「劣勢かな」の側が相手の

超奔王がとても強い為、既に「助かると思って
も、助かってい無い」という将棋になる。

 局面変化の雰囲気の概念が、普通の日本将棋
と、たいへん異なる為、

調整が成功したのか、失敗なのかさえ、1局指
しの時点では、良く分からないゲームになった

ようであった。その後2局、普通の木の盤駒で
もチェックして、多分だが

これで一応、攻守バランスは取れている

のではないかと思われた。
 つまり中盤でも玉をぶ厚く囲い、相手が超奔
王交換を仕掛けて来たときに、

互い取りで「主導権」が相手に渡る事を予想し、
盤面の各升目に玉詰みを招く隙間を、絶対に作
ら無いように、し無いとあっという間に勝負が
付く

という点に注意すれば、攻守のバランスの調子
が一応判るという、特殊な将棋状ゲームになっ
ているように、私には見えた。(2023/10/12)

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