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栃木県小山市神鳥谷曲輪遺跡出土駒の角行理由再考(長さん)

4年半以上前になるが、表題の遺物が出土確率の高
い歩兵等ではなくて、摩訶大大将棋の角行と取れる
駒、1枚の理由を考察した。本ブログのこの駒に対
する見方の特徴点は、南北朝時代の城郭遺跡からの
出土なので、小山義政か小山芳姫か小山若犬丸かに
関連はするが、江戸時代に小山市天神町の青蓮寺の
寺宝(小山義政の乱の遺品)でもあったと、ほぼ決
めてかかっている点が挙げられる。つまり

近世まで、地上に露出していた品

という意味である。というのも、

遊戯具だとしたのなら、字が擦れて消えた駒を含め
て、複数枚が共出土しないのが不思議な点

と新聞発表当初から見たからである。また、井戸が
20基程度と多数有るのに、宴会用のカワラケと、
曲げ物小板等を除いて、祇園城(小山城)の中世の
城の住人の使用物品的特徴を持つ発掘品群が、近世
当時の青蓮寺母屋に寺宝と称されて置かれたのちに、
廃仏毀釈で明治初にまとめて特定の井戸に、放り込
まれたと言わんばかりに、

8号井戸等2~3基の井戸からしか出土しない

というのも、その理由である。
 しかしその一枚だけの駒が角行である理由が、西
暦2017年9月当時は、神奈川県鎌倉市の横小路
遺跡から悪行が発掘された前後であるため、当時の
本ブログの管理人には、全く見当が付かなかった。
ありきたりの駒種にして、盗難を防ぐ為ではないか
というのが、西暦2017年版の回答であった。
 しかし現在では、

角行は悪行の洒落である

と明確に判るようになっている。ので小山若犬丸の
幼名、小山悪四郎と角行がマッチし、元々は、彼の
所有物である事を示しているように見えるのは、
もはや自明である。ではあるが、そう決め付けて良
いのかどうかを今回は問題にする。結論から書くと、
近世青蓮寺が在来仏教である真言宗の小山市宮本町
の持宝寺の末寺であるから、そう決めてかかれない
とみられる。

つまり、現実に確実に存在する事象でも、説明がつ
いてしまう

という事である。
 ポイントは浄土教系とは違い、いわゆる鎌倉時代
の在来仏教と分類される宗派の寺では、現代でも、

仏教の戒律に背いた者は成仏が遅れるので、施餓鬼
をして、早く成仏するように法要をする

という点が挙げられる。小山悪四郎は悪行者である
ので施餓鬼が必要なのはもちろんなのであろうが、
仏教の戒律は元来厳しいので、蚊を殺したくらいで、
戦争厄が有ったとは思えない

小山芳姫でも、現代でも故人が誰でも、真言宗の寺
では裏盆に施餓鬼法要をしている

のはよく知られている。その際、故人は成仏出来な
い悪人なので、角行駒がカタシロとして使用できる
のは明らかである。つまり持宝寺のように弓削道鏡
の開いた真言宗の寺や、その末寺である小山市天神
町の廃寺(中世尼寺)青蓮寺では故人一般は、なか
なか成仏出来ない、ほぼすべてが角行仏なので、
施餓鬼は故人全部について、ほぼ一通りする。ので
あるから、

その角行を決まった故人用とは特定できない

のは明らかである。つまり角行1枚駒はそれを寺宝
として保管していたと、地理的にみられる青蓮寺が、
施餓鬼法要と関連付けて、説明付けをするだろうと
いう状況証拠の有る真言宗系統の寺らしい事は示せ
ても、角行将棋駒がもともと、小山悪四郎の持ち物
である事までは証明しないという事に、残念ながら
なるのであろう。
 ただし、系図に小山若犬丸が、小山悪四郎と記載
されている事は、この将棋駒遺物との関連性を、か
なり匂わせているというのも事実だと、現時点で考
えざるを得ないのも確かであろうとは思われる。
(2022/05/01)

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