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愛媛県松山市大渕遺跡で奔金墨書土器(長さん)

今回は四国愛媛県松山市大渕遺跡で縄文時代
晩期の彩色壷型の土器に、漢字で奉金と書か
れているように見えるという旨の話題である。

残念ながら偶然模様と判断される。

 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファィル名は以下の通りである。
11968_1_大渕遺跡.pdf
なお、pdfは3つに分かれているが、写真
が第1本文pdfの第3巻頭カラー写真とし
て公開されている。
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
松山市文化財調査報告書77大渕遺跡、西暦
2000年、松山市教育委員会・財団法人松山市
生涯学習振興財団埋蔵文化財センター。
 遺跡の場所は、発掘報告書第22ページの
「組織」の項の記載によると、愛媛県松山市
太山寺町甲473、496、498。遺物が
出土したのは同じく第22ページによると、
西暦1987年から1989年および、その
前後の事のようである。
 遺物の成立年代については、発掘報告書の
第10ページの記載によると、遺跡の第5層
から出土した遺物であることを根拠にして、
縄文時代晩期後半であると、見られているよ
うに読み取れる。
 遺物の写真は、冒頭に述べたように、第1
本文pdfの巻頭写真第3番に在り、遺物番
号は第659番とナンバリングされているよ
うに本文から読み取れる。また巻頭写真第3
番には「大渕遺跡出土彩文壺」との旨の説明
書きが、付記されている。

大渕奔金カラー.gif

 上図のように、赤い色材で塗布された土器
写真の中央下に漢字で金のようなスペード型
抜き模様が在り、その上方の写真で土器の、
ほぼ中央に、上部がはっきりしないが、漢字
の奉であると言われれば、そのようにも見え
る、同じく輪郭を抜いたような模様が有る。
ややバラケているが「奉金」と読めるように
解釈され、彩色で飾られた、貴金属奉納の壷
を連想させる。が、

漢字の成立時代が、著しく早すぎ

である。
 そこで遺物を良く見ると、
①奉の大部分の左下が無い。
②金のハ部分が2つ有る。
 以上の事から、漢字としては不自然であり、

偶然模様である

と解釈される。残念ながらこのケースは色材
の一部が剥げ落ちた際に、ムラで模様が出来、
一部が奉金という字に、似ただけだったと見
るべきなようである。なお、発掘報告書に、
模様の内容に関するコメントは、今のところ
発見出来ていない。(2022/05/23)

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